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機械式腕時計を復活させて10年。セイコーインスツルメンツの売り上げは、ついに年間1万台を超すまでに成長する。生産効率を高めるために、製造子会社である盛岡セイコー工業に部品製造から組み立てまでの一貫体制も構築した。しかし、そこにある組み立て室は、高級式腕時計が生み出されるには、あまりにも貧弱なものだった。

日経ものづくりのコラム「ドキュメント」に掲載した事例を再録しました。本記事は、日経ものづくり2006年2月号に掲載したものです。
左から西郷達治、小野寺 強
左から西郷達治、小野寺 強
(写真:栗原克己)
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 1998年の、複雑時計のクロノグラフと最高級ブランド「グランドセイコー」の商品化により、セイコーインスツルメンツ(現セイコーインスツル)の機械式腕時計事業は完全復活を果たした。看板モデルの誕生により、販売には弾みがつく。2000年は約5000個、2001年は約8000個、そして2002年には1万個の大台を突破。この間に、事業は黒字に転換した。

 生産体制も改まる。部品製造は岩手県の盛岡セイコー工業、組み立ては千葉県の大野、高塚両事業所という分散体制から、盛岡セイコー工業に部品製造から組み立てまで全工程を集約する一貫体制に。雫石にある盛岡セイコー工業の、この機械式腕時計部門は2002年4月「高級時計職場」としてスタートを切った。

 1カ所に全工程を集結させた効率的な生産体制。最初は、このことに疑いを抱く者などいなかった。しかし、右肩上がりに増える注文に対して増員を繰り返すうちに、職場、とりわけ組み立て室は次第に手狭になっていった。気付くと、そこは「空気が薄いと感じられるほどの高い人口密度」に。劣悪な職場環境は、生産性が上がるどころか、かえって下がり兼ねないくらいだった。

 組み立て室を拡張する──。2003年11月に盛岡セイコー工業の社長に就いた西郷達治は着任早々、大きな決断を下した。

「職場環境の改善に併せて、もっと上を目指すことを考えました。確かに、セイコーの機械式腕時計は順調に伸びていた。とはいえ、1990年代後半からの高級機械式腕時計ブームの再燃で、日本の10万円以上の機械式腕時計の市場規模は年間約50万個に達したのに、セイコーのシェアは3%にすら届かない。果たして、この程度で機械式腕時計は完全復活したと言えるのか。言えないでしょう。だから、私はシェア2割、年間10万個の目標を課したんです」

 西郷は2003年末、組み立て室の拡張工事に伴う予算を3700万円計上する。増産を視野に、組み立て室のスペースを広げて作業台を増やす。これなら、3700万円で十分。西郷はそう算盤(そろばん)をはじいた。