かつての谷筋で土砂が流出
里塚地区では、1980年前後に河川を暗渠(あんきょ)化、谷筋を埋める造成が行われていた。盛り土に使われたのは火山灰砂質土で、多孔質で保水性が高く、水を含むと振動で流動化しやすい。2003年の十勝沖地震では、清田区内で液状化の被害があったが、里塚地区では軽微だったという。
9月13日に開かれた地盤工学会の緊急報告会で、調査団団長を務める石川達也・北海道大学大学院工学研究院教授は、「住宅地では地表面が1mから2mほど沈下した部分が、谷地に沿って帯状に続いていた。噴砂(砂が地下水とともに噴出する現象)を確認できたのは盛り土の上端部のみで、宅地内ではほとんど確認できなかった」と説明。
そのうえで、地盤被害のメカニズムについて、「液状化した土砂が地下水とともに谷地に沿って移動し、下端側にできた何らかの亀裂などを通じて流出したのだろう。標高の高いところでは地下水位が深い。液状化した層が深かったため、沈下した宅地で噴砂を確認できなかったのではないか」との見解を示した。
地震による地盤災害では、大規模な斜面崩壊もあった。最大震度7の厚真町では農家の住宅や納屋などが巻き込まれ、36人が亡くなった。
取材で立ち入った範囲だけでも、見渡す限り数百メートルにわたって斜面が崩れ、山肌が露出していた。現地では自衛隊による安否不明者の捜索活動が続いていた〔写真5〕。
産業技術総合研究所の地盤調査総合センターの発表資料によると、この一帯は地表から4m前後の深さまで火山活動による堆積物があり、「軽いもの(軽石)の上に重いもの(表土)が重なった不安定な構造」だった。同センターは強い揺れで軽石層が崩壊、表土がシート状に滑り落ちたとの見方を示している。