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施設利用者の転落事故を巡る訴訟は数多い。利用者の危険行動をどこまで想定すべきかは設計上の悩ましい課題だ。ベランダから落ちて骨折した宿泊客が施設運営者を訴えた事案から、その一線を探る。(日経アーキテクチュア)

A健康保険組合が運営する保養所で、宿泊客が2階客室のバルコニーから転落。足の骨を折るなどのけがを負った。宿泊客は酔ってバルコニーに座り込んだ後、立ち上がろうとしてよろけ、転落した。バルコニーには手すりがあったものの、支柱の間隔は広く開いていた
A健康保険組合が運営する保養所で、宿泊客が2階客室のバルコニーから転落。足の骨を折るなどのけがを負った。宿泊客は酔ってバルコニーに座り込んだ後、立ち上がろうとしてよろけ、転落した。バルコニーには手すりがあったものの、支柱の間隔は広く開いていた
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 今回は工作物責任(土地の工作物の設置または保存の瑕疵(かし)、民法717条)の典型例、施設での利用者の転落事故を巡る裁判を取り上げる。

 事故が起こった施設は静岡県熱海市に立つ保養所だ。A健康保険組合が運営するもので、1995年に完成した。施設は地下2階・地上3階建てで、客室総数は28室。原告となった利用者は2013年4月19日、勤務する会社の研修のため、仲間とともにこの施設を訪れていた。

 午後10時すぎ。ビールを飲んで酔った原告は、2階客室からバルコニーに出て、床に座り込んだ。夜風に当たろうとしたようだ。

 バルコニーには外側の縁に手すりが設置されていたが、支柱の間隔が広く、パネルなどは付いていなかった。原告は立ち上がろうとした際、パネルのない手すりに手を突こうとしてしまい、支柱の間から転落した。

 足の骨を折るなど重いけがを負った原告は15年、A健康保険組合には工作物責任があるとして、休業補償や慰謝料など約1000万円の支払いを求めて東京地方裁判所に提訴。施設側は全面的に争った〔図1〕。

〔図1〕施設の完了検査では法違反の指摘なし
1994年 7月 被告のA健康保険組合が、問題となった保養所について建築確認済み証を取得。この後、工事が進んだ
95年 保養所がオープン。地下2階・地上3階建てで、客室は28室。担当した設計事務所(訴外)は裁判において、完了検査などでも建築関連法規への違反を指摘されることはなかった、と証言した
2013年 4月19日 原告の勤務する企業が保養所で1泊2日の研修を実施
    19日 保養所2階の客室212号室と213号室の窓に接したバルコニーから、原告が転落。事故当時、原告はビールを中瓶3本程度飲んだ後で、酒気を帯びていた。原告が客室バルコニーに出た際、客室に他の人はおらず、事故の目撃者もいなかった。転落した原告は病院へ救急搬送された
 午後10時すぎ
  20日 病院の整形外科・脊椎外科により、原告は左踵骨骨折、左肩打撲擦過傷、両前腕打撲擦過傷、両膝打撲傷、臀部打撲傷、右足底打撲傷、左眉間裂傷、と診断を受けた
15年 ごろ 原告がA健康保険組合を相手取り、東京地方裁判所へ提訴
17年 8月28日 1審判決。東京地裁は原告の請求を棄却した。原告は控訴したが、後に和解した
事件の概要。問題となった保養所は事故発生時点で築18年。1995年に完了検査を受けており、完了検査でも法違反の指摘などはなかった(資料:判決文を基に日経アーキテクチュアが作成)

建基法満たす手すりはあった

 争点は、このバルコニーにそもそも瑕疵があったかだ。判決文から概要を見ていこう〔図2〕。

〔図2〕手すりに大きな隙間が開いていた
〔図2〕手すりに大きな隙間が開いていた
転落事故が起こったベランダと手すりの概要。手すりの支柱間隔は広く、ガラスパネルなどは存在しなかった。事故後、施設側は隙間にアクリル板を取り付けた(資料:判決文を基に日経アーキテクチュアが作成)
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 バルコニーは2つの客室に接する位置にあり、幅約5.9m、奥行き約1.3m。避難はしごを備え、屋内側避難階段とともに避難経路となる部分だった。客室は1室当たり最大6人の利用が想定されていたので、避難時は2部屋から最大12人が1つのバルコニーへ出ることになる。

 客室との間は片引き窓で隔てていた。窓は掃き出しではなく、高めの窓台の上にあった。客室側とバルコニーにも高低差があり、客室からバルコニーに出る際は段差をまたぐ必要があった。

 バルコニーの外側の縁の手すりは、床から約37cmの立ち上がりを設け、そこへ高さ約87cmの金属製部材を取り付けたものだった。金属製部材は支柱と手のかかる部分から成る。支柱は薄い板状、手のかかる部分はパイプ状と判決には記されているが、材厚などは不明だ。

 バルコニーの幅約5.9mに対し、手すりの支柱は全部で5本。まずバルコニー両隅に1本ずつ、その間にほぼ均等な間隔で3本を立てていた。支柱同士の間隔は1.5m弱だ。

 裁判で証言に立った担当設計者によれば、この建物では1995年の完成時に完了検査を受けたが、特に法違反を指摘されたことはなかった。

建基法とは別の判断基準

 このバルコニーの手すりは、立ち上がりとの合計で上端が床から高さ1.24mに達しているから、少なくとも建築基準法施行令126条1項が規定する「1.1m以上」は超えている。ただ工作物責任が問われる場合、建基法違反がなければそれでよい、とはならない。

 最高裁判所は過去における複数の判例で、工作物責任の判断基準について次のように定義している。

 「土地の工作物の設置または保存の瑕疵とは、工作物に『通常有すべき安全性』が欠けている状態だ」

 「安全性の判断は、当該工作物の構造、用法、場所的環境および利用状況など諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきだ」

 「『本来の用法』に従った使用を前提とした上で、何らかの危険発生の可能性があるかによって決せられるべきだ」

 東京地裁はこの定義に沿って判断を進めた。判決はまず、バルコニーの「本来の用法」を外形から論じた。

 問題のバルコニーは、客室を隔てる窓が掃き出しではなく、段差となっていた。このことから判決は、「緊急時に使用することを想定し、客室から直接バルコニーへ立ち入る行動を排除する目的でこうした高低差を設けたもの」と認定。こうした制限は客室内に置かれた文書で案内されていたと論を進めた。

 そして「本件バルコニーの本来の用法は、避難時に宿泊利用客が緊急はしごで地上へ降りるために一時的に立ち入ること」とした上で、「避難の際、一時的に立ち入るという本来の用法に従って使用するなら、手すりは特段転落の危険を有するものではない」と判断した。