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2018年に火事で焼失した福井県あわら市の老舗旅館が、最新設備の宿泊施設としてよみがえった。木造・平屋で雁行(がんこう)配置の客室棟は、かつての記憶を継承しつつ、光と風による心地よい空間を生む。

センター棟から客室棟を見下ろす。左手が火災で焼け残った北側の庭。建物は、2つの客室を坪庭でつないで1つの棟とした分棟形式を採用し、軸をずらしながら雁行配置させている(写真:繁田 諭)
センター棟から客室棟を見下ろす。左手が火災で焼け残った北側の庭。建物は、2つの客室を坪庭でつないで1つの棟とした分棟形式を採用し、軸をずらしながら雁行配置させている(写真:繁田 諭)
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火災前の庭と建物。玄関のある本館、客室棟の中央館と東館の計3棟が国の登録有形文化財に登録されていた(写真:たとり 直樹)
火災前の庭と建物。玄関のある本館、客室棟の中央館と東館の計3棟が国の登録有形文化財に登録されていた(写真:たとり 直樹)
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 福井県の最北端、あわら市で135年余りの歴史を誇る老舗旅館「べにや」。県内の温泉旅館で初めて国の登録有形文化財に登録された建物は、2018年5月の火災で全焼した。

 再建に当たって、設計を依頼されたのが小堀哲夫建築設計事務所(東京都文京区)の小堀哲夫氏だ。実は、小堀氏は火災前に宿泊した経験がある。初めて訪れたときの印象を同氏は次のように振り返る。

 「細長い敷地に沿って、奥へ奥へと曲がりながら続く廊下や軒の連なり。長い時代の間に増築を繰り返した建築群に不思議な魅力を感じ、それこそが旅館の本質ではないかと気づかされた」

 老舗だけに、常連が多く、以前の数寄屋建築に対する思いも強い。「いろいろな人の記憶をどう再現していくかが最大の課題だった。しかし、伝統を単なるノスタルジーとして捉えると、未来につながらない」と小堀氏。そこで、提案したのが木造・平屋で雁行配置の客室棟だ。

2室1組の客室を坪庭でつなぐ

 新しいべにやは、東西に長い廊下を挟んで、南北に各2室で1セットの客室を設けた。2つの客室を坪庭(中庭)でつないで1つの棟とし、軸をずらしながら配置。雁行した廊下が生まれ、各部屋は南北の庭と坪庭という2方向に開く。さらに天窓によって、客室は基本的に3面採光だ。

 県北部を流れる九頭竜川に沿って吹く南北方向の卓越風を、東西に延びる建物で受け止め、随所に開閉可能な建具を設けて室内に取り込む。あわら温泉から湧き出る高温の源泉は床暖房として利用し、冬季に床下からの冷気を遮る。光・風・湯といったあわら温泉の恵みを最大限生かした空間をつくり出している。

 さらに、客室17室のしつらえは、それぞれ異なる。間取りや建具、仕上げ素材などを変え、和室かベッドといった選択肢も設けた。客室は耐力壁のない木造としたため増改築が容易だ。「部屋をくっつけたり、増やしたり、模様替えしたり自由にできる。あえて未完成の建築をつくることで、将来、新旧が融合し、時間の経過が感じられるようにした」(小堀氏)