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「廃虚の女王」などと呼ばれ、マニアに人気を博してきた神戸市内の旧摩耶観光ホテルが、国の登録有形文化財になることが決まった。波乱に満ちたその歴史や、知られざる意匠の特徴などをリポートする。

 「廃虚の王」と呼ばれる長崎市の軍艦島に対して、優美なたたずまいから「廃虚の女王」と称される神戸市の旧摩耶観光ホテル。文化審議会が2021年3月19日、国の登録有形文化財とするよう文部科学大臣に答申して話題を呼んだ〔写真1〕。

〔写真1〕樹木に埋もれるように立つ旧摩耶観光ホテル
〔写真1〕樹木に埋もれるように立つ旧摩耶観光ホテル
旧摩耶観光ホテルの南側外観。現在は摩耶ケーブル虹の駅か、東側の登山道から徒歩でアクセスするしかない。内部は立ち入り禁止で、ツアーを利用すれば外観を見学できる(写真:前畑 洋平・温子)
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 「マヤカン」と略される旧摩耶観光ホテルが竣工したのは1930年。神戸市によると、摩耶鋼索鉄道(現・摩耶ケーブル線)や遊園地を運営していた摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設「摩耶倶楽部」として産声を上げた。摩耶山の中腹、標高約420mに位置するこの建物は、地下2階・地上2階建てで、構造種別は鉄筋コンクリート造。建築面積は約900m2、延べ面積は約2055m2だ〔写真23〕。

〔写真2〕「山の軍艦ホテル」とも呼ばれていた
〔写真2〕「山の軍艦ホテル」とも呼ばれていた
開業当時の摩耶観光ホテル。摩耶山温泉と呼ばれていた。丸い窓や煙突から煙が立ち上る様子が、軍艦を思わせる。1929年から仮営業を始めていたようだ(写真:阪神電気鉄道)
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〔写真3〕摩耶山の中腹に位置する
〔写真3〕摩耶山の中腹に位置する
旧摩耶観光ホテルの位置。瀟洒(しょうしゃ)な宿泊施設というよりは、都市近郊の大衆的な娯楽施設といった趣だったようだ(写真:国土地理院)
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 平面はL字形で、地下2階は和室の客室、地下1階は洋室の客室。地上1階には食堂などを、地上2階にはホールやステージを配していた。陸屋根に丸窓や塔屋、煙突などが目立つ外観から営業当時は「山の軍艦ホテル」などと呼ばれていたという。