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建築構法の第一人者であり、建築界に多くの門下生を輩出した指導者でもあった内田祥哉(よしちか)氏が、5月3日に老衰のため96歳で死去した。戦後住宅の量産化に寄与するなど、建築界に捧げた半生だった。

2013年に自邸で撮影(写真:鈴木 愛子)
2013年に自邸で撮影(写真:鈴木 愛子)
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 内田祥哉氏は自身のことを率先して語る人物ではなかった。東京帝国大学総長を務めた父・内田祥三(よしかず)や、丹下健三がコンペで連敗を喫した兄・祥文(よしふみ)など家族の話題も取材ではあまり触れたがらなかった。

 太平洋戦争終結から2年後、内田氏は1947年に東京帝国大学を卒業し、逓信省に入省した。吉田鉄郎が退職した直後で、小坂秀雄らが営繕部で活躍していた時期だ。電気通信省、日本電信電話公社を経て、56年に退職。その後30年間、東京大学で教鞭を執った。

 内田氏の建築家人生は「研究」とデザインでの「実践」、その反復に尽きる〔写真12〕。日本建築学会賞を作品と論文の両方で複数回受賞していることが1つの証左といえるだろう。同世代の建築家・篠原一男は内田氏が設計した建築を見て、「アーキテクトとしての活動を多くしないことが惜しいほどの才能だ」と漏らした。

〔写真1〕モダニズムに工業的視点加わる
〔写真1〕モダニズムに工業的視点加わる
内田氏が設計した建築例。1993年に完成した明治神宮神楽殿(写真:安川 千秋)
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中央電気通信学園講堂、現NTT中央研修センタ講堂で、1956年に完成。米国の建築家バックミンスター・フラーがモックアップ実験時と完成時に訪れた(写真:藤森 照信)
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中央電気通信学園講堂、現NTT中央研修センタ講堂で、1956年に完成。米国の建築家バックミンスター・フラーがモックアップ実験時と完成時に訪れた(写真:藤森 照信)
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中央電気通信学園講堂、現NTT中央研修センタ講堂で、1956年に完成。米国の建築家バックミンスター・フラーがモックアップ実験時と完成時に訪れた(写真:藤森 照信)
〔写真2〕自邸のモデュールにもこだわり
〔写真2〕自邸のモデュールにもこだわり
1m×1.2mのモデュールで構成した自邸。「内田氏は障子の使い方が非常に上手だった」と藤森照信氏は評する。自邸の南側立面(写真:安川 千秋)
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玄関脇の応接間(写真:安川 千秋)
玄関脇の応接間(写真:安川 千秋)
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内田氏は著書を複数冊手元に置き、版を重ねるたびに改善すべき点を熱心に書き込んでいた(写真:安川 千秋)
内田氏は著書を複数冊手元に置き、版を重ねるたびに改善すべき点を熱心に書き込んでいた(写真:安川 千秋)
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