国立代々木競技場の第一体育館が改修工事を終え、11月1日に営業を再開した〔写真1〕。1964年開催の東京五輪のシンボルは、“原形”を保ったまま耐震性やバリアフリー対応を強化し、2020年夏に2度目の五輪を迎える。
無柱の大空間と「日本」をモチーフとするダイナミックな意匠を吊り屋根構造で一体的に解く─。丹下健三が設計した国立代々木競技場第一体育館は、1964年東京五輪の水泳会場として建設され、以降は「体育館」としての競技利用やコンサート開催など多目的施設として親しまれている。2020年東京五輪ではハンドボール、パラリンピックでは車椅子ラグビーとバドミントンの会場となる。
第一体育館の耐震改修に当たっては、入念な調査・検討を要した。07年には屋根を吊るメインケーブルに問題がないことを確認。10~12年度にかけて耐震診断を実施し、耐震改修が必要なことが分かった。14年度に川口衞構造設計事務所が耐震改修の基本計画をまとめた。
耐震安全性の目標は、「大地震後、構造体の大きな補修をすることなく建物が使用できること」。改修設計は丹下都市建築設計・久米設計JV、施工は清水建設が担当した。
耐震改修は、屋根を支える柱や鉄骨梁などの補強のほか、天井の落下防止対策を含む。建築確認申請が必要となる大規模な修繕などには当たらないが、耐震安全性を時刻歴応答解析とGIs値(構造耐震指標)によって判定した。建築基準法が求める水準の1.25倍を目標とし、最小0.39だったGIs値は、安全基準の1.0以上を確保。建築保全センターによる評定書も取得した。
見える箇所の姿を変えない
第一体育館は、鉄筋コンクリート(RC)造の下部構造と鉄骨(S)造の屋根構造で構成される。いずれも、目に見える箇所では「原形の維持」を原則とし、耐震補強要素の追加箇所を決めている。そのため、17年に着手した工事は困難を極めた。
下部構造の主体となるのが、メインケーブルを支える東西2本の主塔〔写真2〕。吊り橋状の屋根の荷重を地盤に伝える大柱で耐震壁を兼ねるが、耐力が大幅に足りない。外観を保つには、地中および主塔内部から補強する必要があった。
最大で高さ27m超の主塔内部は一部が設備スペースになっているものの点検口もタラップもなく、界壁で区切られていて、とにかく狭い。工事では、幅2mほどに迫る壁と壁の間に足場を立て、区画ごとに地下2階の床から最上部までコンクリートを増し打ちした。
基礎の補強工事も「狭さ」との闘いだった。新設したコンクリート杭は全て場所打ちで、主塔回りを中心に計65本。このうち32本は、屋内側に約22mの深さまで打設しなくてはならなかった〔写真3〕。
現場では、駅舎改良などで活躍するTBH工法を採用。同工法は、大容量の泥水プラントが必要なため、工期やコストはかさむが、狭小・低頭空間でも大口径の掘削を可能とする。
吊り鉄骨をプレートで補強
建物を印象付ける曲面屋根の補強では特に、「見た目を変えない」という課題が立ちはだかった〔写真4〕。
既存の屋根は、メインケーブルから外周のスタンドまでの間に、湾曲するI形鋼を4.5mピッチで架け渡した「セミ・リジッド(半剛性)吊り屋根構造」。吊り鉄骨に直交するように押さえケーブルを通し、屋根面に均質な剛性を持たせている。
耐震補強では、曲げ応力が集中する吊り鉄骨に対し、3種類の補強方法を割り当てて改修した。例えば、断面不足を補うために上下あるいは下のみのフランジをプレートで補強。湾曲する吊り鉄骨に合わせてプレートを一体化させる必要があるため、高い技能が求められる上向き溶接で施工した。また、吊り鉄骨の梁せいが大きい箇所には、座屈を防止する横補剛材を取り付けて補強する方法を採用している。
東日本大震災で天井が波打つ
下部構造と屋根構造のほか、非構造部材の耐震化も必須となった。
「11年3月の東日本大震災の発生時、第一体育館の大屋根が波打つように動いたのを目の当たりにした。ちょうど屋根塗装の全面塗り替え工事のために現場に入っていたときだ。天井も不規則に動いていただろう」。耐震改修工事で統括工事長・作業所長を務めた清水建設の毛利元康氏は、こう振り返る。
アリーナ天井は重量約8kg/m2、仕上げ面積約1万2000m2、高さ約25~32m。特定天井に該当するため、全面的に落下防止対策を施した。改修前は下地材から押縁材を吊る形式だったが、吊り鉄骨に押縁材を固定する形式に変えた〔写真5〕。
落下防止金物のブラケット部を既存の押縁材に差し込み、もう一方のコの字形の部分を吊り鉄骨に溶接する〔写真6〕。ポイントは「連結部に幅約30mmのルーズ穴を設けてXYZ軸のいずれの揺れにも追随できるようにしたことだ」(毛利統括工事長)
取り付け前に、モックアップによる動的振動試験を実施し、性能を確認。アリーナ天井の内観を一切変えずに耐震化を実現した。アルミエキスパンドメタルの天井パネルや押縁材も1度取り外して再利用している。
バリアフリー対応による機能の追加でも、歴史的建造物であることに配慮した〔写真7〕。文化庁などの助言を受けながら、18年に基本方針を策定。アドバイザーとして、藤岡洋保・東京工業大学名誉教授が参画した。日本スポーツ振興センター国立代々木競技場プロジェクトリーダーの福手孝人氏は、「新たな機能の追加と保全の両立に苦心した」と話す。
創建時の図面が残っていなかったり、残っていても現況と違っていたりする箇所も多かった。「仕上げ解体時など施工段階にも状態を調査し、施工者と協議しながら慎重に進めた。現場の状態に合わせて、設計図の変更を行うこともあった」(福手氏)
必要な性能や機能を万全にした代々木競技場は、ポスト五輪の50年を見据え、新たな歩みを始める。