建築巡礼
目次
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井戸の底の眺め
新宿NSビル(1982年)
高さ133.66m、地上30階建ての新宿NSビルは、超高層ビルが立ち並ぶ東京・西新宿のかいわいでは、高さにおいて明らかに見劣りする。外観はずんぐりむっくりした感じで、小ぶりの窓が並ぶタイル張りの壁も一見、地味である。
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訪れたトリックスター
進修館(1980年)
駅から真っすぐに延びる道を200mほど歩くと、ツルで覆われた建物が見えてくる。それが宮代(みやしろ)町立コミュニティセンター「進修館」だ。
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南国の理想的なヴィラ
岩崎美術館(1979年)
砂むし温泉で有名な指宿(いぶすき)へは、鹿児島市の中心部から車で行くと1時間と少しで着く。温泉街を抜けた海に面した広い敷地に、指宿いわさきホテルがある。向かい合わせにカーブを配した独特な平面の建物は、1972年に完成。基本設計はハワイなどで多くのリゾートホテルを手掛ける事務所、WATG(ウィンバリ…
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森の中のリング
箱根プリンスホテル(現・ザ・プリンス箱根芦ノ湖、1978年)
ホテルに着いた建築好きは、まず拍子抜けの感じを抱くのではあるまいか。車寄せに面した玄関棟は、低く抑えられて、目を引くものではない。これが村野藤吾による設計か、といぶかしながら入り口を抜けると、こぢんまりとしたチェックインカウンターのお出迎え。そこから折り返してロビーへ向かうと、ようやくここで建築が…
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知的建築創造の技術
国立民族学博物館(1977年)
大阪万博からちょうど50年に当たる今年、跡地の万博記念公園を訪れた。すでに建築巡礼でも取り上げた太陽の塔、EXPO'70パビリオン(旧・鉄鋼館)、お祭り広場大屋根の一部など、万博の遺構を脇に見ながら、公園の北端にある国立民族学博物館(以下、みんぱく)へと向かう。
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町並みづくりの出発点
信州小布施 北斎館(1976年)
富士図版画集である『富嶽三十六景』などの作品で名高い葛飾北斎は、1760年、現在の東京都墨田区に当たる江戸の本所で生まれた。浮世絵師となってからもその辺りを転々としながら暮らしていたが、83歳になって信州の小布施を訪れ、そこに滞在して肉筆画を描いた。これを常設展示する美術館がこの北斎館だ。
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ディスカバー・レンガ建築
フロム・ファースト・ビル(1975年)
東京の明治神宮から東へと延びる表参道は、建築ミュージアムのようなストリートだ。長さ1.5kmほどの区間に、安藤忠雄や伊東豊雄、隈研吾、妹島和世、青木淳、ヘルツォーク&ド・ムーロン、MVRDVなどといった国内外の著名な建築家による有名ブランドショップやファッションビルが軒を連ねる。それらの先駆けとな…
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竜神に守られた百貨店
西武大津ショッピングセンター(現・西武大津店)(1976年)
再び始める建築巡礼。今回のシリーズで巡るのは1975年以降の建築だ。いわゆるポストモダニズムが隆盛を見せる頃だが、必ずしもそれにとらわれることなく、この時代の建築を幅広く取り上げていくつもりである。第1回は、西武大津ショッピングセンター(現・西武大津店)だ。
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ブラジルで見た“建築の希望”
現地ルポ後編 イビラプエラ公園(1954年)、ニテロイ現代美術館(1996年)
外出自粛が呼び掛けられ、創作意欲も高まりにくい昨今。今号もブラジルからオスカー・ニーマイヤー設計の建築をリポートする。初期と晩年の2つの名作を訪ね、その創作姿勢から元気をもらおう。
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ニーマイヤーを追いブラジルへ
ブラジリア(1960年~)
今年のゴールデンウイークは海外で過ごすことは難しいだろう。せめてもの旅気分に、オスカー・ニーマイヤー設計の建築群をブラジルから。前編は、この4月21日で首都移転60年を迎えたブラジリアをリポートする。
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木の神殿、ベールを脱ぐ
国立競技場(2019年)
あまりにも情報が多くて、すっかり分かったつもりになっていた新「国立競技場」。写真の印象で「この程度だろう」とたかをくくっていたのだが、内覧会に言って、大いに反省。建築はやっぱり、体感しないとわからない!
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カプセルよ、転生せよ
中銀カプセルタワービル(1972年)
東京の銀座という地名が付くエリアの南端。すぐ脇には首都高速道路の高架が走り、その向こうは汐留の再開発エリアだ。そこに、丸窓が付いた白い箱を寄せ集めたようなこの建物は立っている。
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閉ざされた未来
お祭り広場+太陽の塔(1970年)
1970年、自分は埼玉県に住んでいる小学校1年生だった。親に連れられ大阪万博に出かけた。子ども向けの雑誌に載っていた特集記事を繰り返し読み、頭の中は万博の情報でいっぱいだった。
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ビッグネスとしての建築
中野サンプラザ(旧・全国勤労青少年会館)(1973年)
JR中央線の中野駅から、交差点を挟んですぐ斜め前にそびえる高層建築が中野サンプラザだ。
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清らかな建築×清らかな園
迎賓館赤坂離宮和風別館(游心亭)(1974年)
2020年のオリンピック・パラリンピックに向けて、東京では様々な施設の建設が計画された。実現しなかったものの1つに「延遼館」がある。この名前はもともと、1869年(明治2年)に建てられた、日本で初めての迎賓施設に付けられたもの。五輪の開催を機に、これがあった浜離宮に再建することを、東京都知事だった…
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自由自在の東西「配合」
リーガロイヤルホテル(ロイヤルホテル)(1965年、73年)
中之島は堂島川と土佐堀川の間に挟まれた中洲で、オフィスビルのほか、市庁舎、公会堂、美術館、図書館などの施設が集まる大阪の中心地だ。散策路や公園も整備されていて、都心のにぎわいと水辺の快適なオープンスペースが共存する。東京では味わえない都市環境で、ここに来るといつもうらやましく感じる。そこにリーガロ…
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未来を先取りしたアトリウム
大同生命江坂ビル(旧・大同生命本社ビル)(1972年)
新幹線を使って大阪へ。新大阪駅で大阪メトロの御堂筋線に乗り換えて、いつもなら梅田・なんば方面に向かうところを、逆の千里中央方面に向かう。そして2つ目の江坂駅で降りると、目の前に大同生命江坂ビルはあった。
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内包された広場
金沢工業大学本館(1968年)
金沢工業大学は、金沢市にあった北陸電波学校を前身として1965年に大学として開学。校舎は1960年代の初めに現在の野々市市へと移転していたが、その北側に位置するブロックに敷地を取得して本格的なキャンパスづくりに取り掛かる。その第1期工事として完成したのが、今回取り上げる本館(現1号館)と、現在は建…
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健全なる意匠と構造
岩手県営体育館(1967年)
JR盛岡駅からいわて銀河鉄道に乗り換える。一駅目の青山で下車し、歩いてすぐのところに、この体育館はある。
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塔を見るピアッツァ
駒沢体育館・駒沢陸上競技場(1964年)
1964年の東京オリンピックで、神宮外苑や代々木ワシントンハイツ跡とともに、競技会場を集中配置したのが駒沢オリンピック公園だ。この場所は、日中戦争の激化によって幻となった1940年の東京オリンピックでも主会場になるはずだった。