日本を代表する歴史都市であり、世界中から人々が訪れる観光都市でもある京都の玄関口となる建築である。平安建都1200年の記念事業の1つとして計画され、設計案を決めるに当たっては、国際指名コンペが行われた。安藤忠雄、池原義郎、黒川紀章、ジェイムズ・スターリング、バーナード・チュミ、ペーター・ブスマンといった、国内外の名だたる建築家を破って、1等を勝ち得たのが原広司だった。
内部には駅が必要とする出札などの機能の他、百貨店、ホテル、劇場などを収める。延べ面積は23万8000m2に及び、高さは59.5m、東西方向の長さは470mにも達する。それは巨大な壁のようにも感じられ、京都の景観を損ねるものとして、計画の時点では風当たりが強かった。
しかし完成してそう長い期間を経ないうちに、この建物への声高な非難は収まっていったように思う。それは建築設計におけるさまざまな配慮が効いたからだろう。
その1つは、都市のコンテクストを生かしたことである。敷地を南北に貫く3本の道がかつてあった。そのうち、烏丸通と室町通については、道の位置に合わせて、門のような空隙を設けて、人の流れや視線の抜けを確保した。もう1本の新町通については、壁面をへこませ、屋上に疑似的な門を設けてこれに対応している。平安京の時代から続く、都市の条坊制に敬意を表したものであろう。