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設計=増田友也・京都大学増田研究室、生活環境研究所 施工=間組 構造=鉄筋コンクリート造、鉄骨鉄筋コンクリート造 階数=地下1階・地上3階 竣工=1982年(昭和57年) 所在地=徳島県鳴門市撫養町南浜字東浜24-7 交通=JR鳴門駅から徒歩15分
設計=増田友也・京都大学増田研究室、生活環境研究所 施工=間組 構造=鉄筋コンクリート造、鉄骨鉄筋コンクリート造 階数=地下1階・地上3階 竣工=1982年(昭和57年) 所在地=徳島県鳴門市撫養町南浜字東浜24-7 交通=JR鳴門駅から徒歩15分
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 日本の戦後を代表する建築家は誰かと問われたらまず挙がるのが丹下健三だろう。彼は設計活動とともに、東京大学で建築を教えるプロフェッサーアーキテクトだった。

 一方、同時期に京都大学で活躍したプロフェッサーアーキテクトが、生まれ年で1つ下の増田友也である。2人はライバル関係にあったともいえるのだが、建築と都市のデザイン実践で建築界をリードした丹下に対して、増田が主に探究したのは、マルティン・ハイデッガーや道元らの思想を基にした建築論だった。

 機能主義的な建築を大量に建てることが求められていた高度経済成長期に、哲学者の著作を読みながら建築の根源を探っていたわけで、その意味では丹下とは対極的な位置にいた建築家だ。

 増田の建築作品は、京都市蹴上浄水場(1962年)や京都大学70周年記念体育館(72年)など、京都市内に多いが、同じようにたくさんあるのが徳島県の鳴門市だ。鳴門市市民会館(61年、解体工事中)、鳴門市役所(63年)をはじめとして、小中学校、幼稚園など、合わせると19棟にも及ぶ市の施設を設計した。

 当時の市長が増田と同じ京都大学の出身だったことが理由とされているが、増田の出身地も関係しているだろう。淡路島の八木村(現・南あわじ市)は、鳴門市から海峡を挟んで、すぐ向こう側なのである。

 増田が没したのは1981年。この鳴門市文化会館が遺作となった。

(イラスト:宮沢 洋)
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