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シンボリックな円筒コア

(イラスト:宮沢 洋)
(イラスト:宮沢 洋)
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 もう1つ、この建築を特徴付けているのが、直方体の建物から飛び出している2本の円筒だ。その正体はエレベーター、階段、トイレを収めたコアで、この工夫により、広い貸し床面積を確保することができたという。

 設計を担当したのは、日建設計(当時は日建設計工務)の林昌二をチーフに据えるグループだった。林はこの後、ポーラ五反田ビル(1971年)や新宿住友ビル(1974年)、新宿NSビル(1982年)など、オフィスビルの名建築を数多く手掛けることになるが、パレスサイドビルを担当したときは、まだ35歳の若さだった。

 コアに円筒形を採用した理由を、林は「三愛の影響もあるかもしれません」と振り返っている(毎日ビルディング編「パレスサイドビル物語」2006年)。ここで言われる「三愛」とは、林らが設計を担当して1962年に竣工した三愛ドリームセンターのことだ。銀座4丁目という東京でも有数の人通りが多い交差点に立つこの建物では、都市景観を構成するアイストップであることがまず意識されており、その形として選ばれたのが円筒形なのだった。

 パレスサイドビルが立つのも、皇居の外側を巡る内堀通りに面した一等地だ。銀座の手法を踏襲して、シンボリックな円筒に景観のポイントを担わせたのだろう。

 同じ年、円筒を象徴的に用いた建築がもう1つ竣工している。それは山梨文化会館で、16本の円筒の間を床でつなぐという手法を採っている。丹下健三による設計だが、アイデアの元は東大の丹下研究室に所属していた磯崎新の新宿計画(1960年、実現せず)だろう。

 ちなみに林昌二と磯崎新は、1986年に行われた東京都庁舎コンペで、再びシンクロナイズしかけている。磯崎はこのとき、応募要項に抵触する中層1棟案を提出した。日建設計が出したのは超高層2棟案だったが、コンペチームを率いていた林は、実は1棟案をぎりぎりまで検討した、と明かしている(日経アーキテクチュア編「東京都新庁舎」1994年)。

 林昌二と磯崎新。前者は組織設計事務所のチーフであり、後者はアトリエ派を代表する建築家である。対極に位置する2人だが、求められている条件から、ロジカルかつラジカルに建築を導き出す手口は、実は似ているのかもしれない、などとパレスサイドビルを見ながら考えた。

(文中敬称略)


文・写真:磯 達雄(ライター)「屋上は刑事ドラマのロケ地としてもしばしば使われている」
イラスト:宮沢 洋(日経アーキテクチュア編集長)「35歳の林にチーフを任せた日建設計(工務)の幹部はすごい」