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日本選手が大活躍

(イラスト:宮沢 洋)
(イラスト:宮沢 洋)
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 1950~60年代にかけて、広場はスポーツ公園のみならず、庁舎や文化施設などをまとめて配置した都市のセンターゾーンでも盛んに設けられた。市民が集う都市のコアをつくろうというもくろみだ。

 しかし、そのうちの多くが竣工してしばらくすると駐車場へと転用されていく。設計時に想定した以上に、自動車の普及が急速に進んだからだ。

 駒沢オリンピック公園にしても、駐車場不足の問題は起こっていた。にもかかわらず中央広場が駐車場化されなかったのは、敷地を横切る幹線道路を掘り下げて通すことによって、広場と立体交差させたからだろう。レベルを変えて、自動車が物理的に入ってこられないようにしたのである。こうした公園全体の計画は、東京大学で都市計画の研究室をもっていた高山英華によるもの。その功績も大きい。

 最後に、1964年の東京オリンピックにおいて、日本選手がこの会場でどんな活躍をしたのか、振り返っておこう。

 レスリングでは金メダル5個、銅メダル1個を獲得。金メダルの数では、強豪国のソビエト連邦、ブルガリア、トルコなどを押さえて1位だった。サッカーでは1戦目で強敵アルゼンチンと戦い、後にJリーグチェアマンとなる川淵三郎などの得点で、3対2で逆転勝ちしている。

 こうした結果は設計者たちもうれしかっただろう。特に高山は、1936年ベルリン・オリンピックで日本代表候補に選ばれたほどのサッカー選手だったから(盲腸炎を起こして本大会には参加せず)、サッカーの結果には飛び上がって喜んだはずだ。

 日本にとって、とてもゲンのいい場所なのだが、2020年の東京オリンピックでは会場として使われない。すごくもったいない気がする。

(文中敬称略)


文・写真:磯 達雄(ライター) 「1964年の東京五輪は1歳だったのでリアルな記憶はない」
イラスト:宮沢 洋(日経アーキテクチュア編集長)「地元池袋にある東京芸術劇場(芦原義信設計)の広場も好き」


〔連載の趣旨〕

建築巡礼昭和モダン編では、戦後に国内で建設された建築を年代ごとに取り上げていきます。現在は1960年代。年内は3号に1回掲載の予定です。