岩手県遠野市に残る仮設住宅だ。東日本大震災後につくられた仮設の中でも、コミュ二ティー形成の点で評価が高い。サポートセンターを核に、屋根付きデッキで住戸をつなげることにより、高齢者を中心に交流の輪が生まれた。
2011年7月の竣工から8年。今年2月に最後の入居者が退出した仮設住宅「希望の郷(さと)『絆』」を、遠野市の職員の案内で見学した。東日本大震災後の被災地の復興をつぶさに見てきた建築家の内藤廣氏が、建築界の様々な取り組みのなかで惟一、「今後に役立てるべき事例」と評したプロジェクトだ。
仮設住宅というと、住棟を画一的に南面平行配置した光景が頭に浮かぶ。だが、ここでまず目を引くのは、玄関が向かい合わせに配置され、アーケードのような屋根が架けられた住棟だ〔写真1〕。そこから西側に進むと、屋根付きデッキと住戸でコの字に囲まれた広場が広がる〔写真2〕。前者は高齢者世帯を中心とするケアゾーン(9戸)で、後者は子育てゾーン(10戸)。全40戸のうち19戸がデッキでつながる。それ以外は通常の南面平行配置〔写真3、4〕。全戸が木造だ。

設計したのは東京大学高齢社会総合研究機構(IOG)と、地元の第3セクター工務店であるリンデンバウム遠野。設計の中心になったのはIOGの一員で、東京大学で住宅の建築計画を研究する大月敏雄教授だ。
同教授は振り返る。「阪神大震災(1995年)後の仮設住宅では、高齢者の孤独死が200件以上あったといわれる。東日本大震災後のIOGの集まりで、『高齢化率は阪神のときの2倍以上になっており、阪神の二の舞にならないような仮設住宅をつくるべきだ』と話した。それならば、実際に提案しに行こうということになった」
2011年5月頭、IOGのネットワークでアポイントを取ることができた釜石市長と遠野市長に、仮設住宅の改善案を提案した。「会えた首長はこの2人だけだが、どちらもIOGの提案を採用してくれた」(大月教授)