全4379文字
PR

自分で苦労しながら育てた設計事務所を、次の世代につないでいきたいと考える事務所主宰者は多い。しかし、社会環境が変化するなか、親から子へ、もしくは所員へ、事務所を継承するのは簡単ではない。

 親子での継承 
子世代は作品性より社会性重視

 竹中工務店の大阪本店設計部で名をはせ、定年を待たずに独立した3人の例を取り上げる。子息への継承の形はそれぞれ違う。

 出江寛氏(出江建築事務所代表、大阪市)は、45歳で同社を退職し、事務所を設立した。トタンの茶室など、伝統を現代的に解釈した設計で知られ、88歳の今も現役だ。2019年10月に岡山県津山市で開いた個展では新たな茶室を公開した〔写真1〕。

〔写真1〕それぞれ事務所を持ちながら父が教える
右手が出江建築事務所代表の出江寛氏。左手が次男の出江潤氏で、浅野・出江建築事務所を共同主宰する(写真:日経アーキテクチュア)
右手が出江建築事務所代表の出江寛氏。左手が次男の出江潤氏で、浅野・出江建築事務所を共同主宰する(写真:日経アーキテクチュア)
[画像のクリックで拡大表示]
寛氏が設計した移動式茶室(写真:出江 潤)
寛氏が設計した移動式茶室(写真:出江 潤)
[画像のクリックで拡大表示]

 「息子の潤にはデザインの精神性を継いでほしい。彼は関西建築家新人賞を18年に受賞するなど、伝えたいことが分かってきたようだ。私が今設計している住宅でアシスタントを務めてもらいながら、たたき込んでいる」と寛氏。潤氏は、浅野大輔氏と共同で17年に浅野・出江建築事務所を設立。18年に寛氏の事務所に移転し、寛氏の仕事も手伝う〔写真2〕。

〔写真2〕先輩とともに事務所設立
〔写真2〕先輩とともに事務所設立
出江潤氏(右写真の左手)は1975年生まれ。71年生まれの浅野大輔氏(同右手)と共同で2017年に浅野・出江建築事務所を設立。寛氏が設計した「懸魚のある製図工場(出江建築事務所)」(1984年)に18年、移転した(写真:日経アーキテクチュア)
[画像のクリックで拡大表示]

個性より、共同体の強さを追求

 寛氏が出江寛建築事務所を出江建築事務所に改称したのは1991年。事務所を継承することを意識したものだ。「父は家庭では絶対的な存在で、父の事務所に入るのは当然の流れだった」。こう話す潤氏は99年に出江建築事務所に入所した。

 ただ、事務所に入った当時から、「精神性は引き継げても、アトリエの組織は継承できない」と考えていた。個人の名前で仕事を取り、個人のキャラクターで設計を進める。特に、寛氏の設計は個性が強いことも、継承できないと思った背景にある。

 寛氏の下で8年間、経験を積んだ後、潤氏は2007年に独立して自分の事務所を持った。寛氏は独立の後押しはせず、経済的な支援もしなかった。事務所が軌道に乗ったのは、独立後4~5年たった頃だ。潤氏は「私が設計した建築を評価してくれて次の仕事が来る。そんないい循環が生まれた」と振り返る。

 独立後は、数人の仲間と協働して設計を進めた。現在の共同主宰者である浅野氏とも互いに補い合う関係だ。「社会が変わって仕事が複雑化し、土地の成り立ちや人との関わりを読んで設計しないと立ちゆかない。だからといって無個性になる必要はない。共同作業のなかに我々らしさを追求している」(潤氏)〔写真3

〔写真3〕複数の仕上げを組み合わせた内部空間
鉄筋コンクリート(RC)造と壁式RC造のエキスパンション部に当たるエントランス。洗い出しやタモフローリングの床、米スギの壁などで構成した(写真:笹倉 洋平)
鉄筋コンクリート(RC)造と壁式RC造のエキスパンション部に当たるエントランス。洗い出しやタモフローリングの床、米スギの壁などで構成した(写真:笹倉 洋平)
[画像のクリックで拡大表示]
防音と目隠しを兼ねたルーバーで覆うファサード(写真:笹倉 洋平)
防音と目隠しを兼ねたルーバーで覆うファサード(写真:笹倉 洋平)
[画像のクリックで拡大表示]
浅野・出江建築事務所の設計で、関西に2018年完成した併用住宅。

 この4~5年に寛氏との距離が縮まったのは、後に関西建築家新人賞を受賞する住宅の離れの設計で悩んだ際、相談したのがきっかけだ。「デザインの方向性が近いので助言はありがたい。父は歓迎してくれ、『事務所ビルの維持管理もあるので、この場所に戻って来いよ』と言ってくれた」(潤氏)。事務所は別ながら、寛氏の考え方は着実に受け継がれている。