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「渋谷スクランブルスクエア」にはデザインアーキテクトとして3者が携わっている。第1期(東棟)の低層部を隈研吾氏、高層部を日建設計、第2期(中央・西棟)をSANAAが担当。分担の範囲をあえて明快に分けず、互いに意見をぶつけ合いながらデザインを収れんしていくプロセスを取った。

渋谷駅前のスクランブル交差点にて、2019年12月7日の鼎談後に撮影。人物は左から隈研吾氏、亀井忠夫氏、妹島和世氏。建物は、左から渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエア第1期(東棟)、東急百貨店東横店。20年以降に東横店を解体後、第2期(中央・西棟)の建設を進める(写真:稲垣 純也)
渋谷駅前のスクランブル交差点にて、2019年12月7日の鼎談後に撮影。人物は左から隈研吾氏、亀井忠夫氏、妹島和世氏。建物は、左から渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエア第1期(東棟)、東急百貨店東横店。20年以降に東横店を解体後、第2期(中央・西棟)の建設を進める(写真:稲垣 純也)
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 渋谷スクランブルスクエアが開業し、ハチ公前の景色は激変した。その立役者といえる3者が再開発に参加し始めたのは2010年。当時はどんな思いを抱いていたのか──。

亀井 1973年に「渋谷PARCO(パルコ)」が開業し、渋谷は自分にとってちょっと先を行く洒落(しゃれ)た街だった。ただ、その後はセンター街やスクランブル交差点に人があふれ、カオス化し、いつの間にか足が遠のいてしまった。

 今回、100年に1度といわれる渋谷駅周辺再開発を担当するに当たり、渋谷の街が持つ多様性やあふれるエネルギーを生かしながら、どのように快適で魅力ある街にするかが課題だと考えた。

 幼い頃、横浜市の大倉山に住んでいて、渋谷に行くとどこか大人になった気がした。街にはプラネタリウムや大きな本屋があって、渋谷周辺は大学時代の遊び場でもあった。だから渋谷に対しては、ちょっと不良な気分で少し開放的になるようなイメージを持っている。普通の再開発にしては面白くないと感じていた。

妹島 日本女子大学(東京・目白)に通っていた私にとっては、当時は新宿や池袋が生活の中心で、渋谷は少し遠い印象であった。もちろん現在は、非常に特徴的な街であることを認識している。渋谷という特別な場所の街づくりに関わる機会は滅多にないので、何ができるのか挑戦したいと思った。

鼎談は、渋谷スクランブルスクエア15階にある産業交流施設「SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)」の会議室で行った。年齢は近いが、立場や個性が異なる3人の議論は、当時を振り返るにつれて熱を帯びていった(写真:稲垣 純也)
鼎談は、渋谷スクランブルスクエア15階にある産業交流施設「SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)」の会議室で行った。年齢は近いが、立場や個性が異なる3人の議論は、当時を振り返るにつれて熱を帯びていった(写真:稲垣 純也)
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