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最前線に身を置き、社会に問う建築をつくり続けてきた日建設計の山梨知彦氏と竹中工務店の原田哲夫氏。どんな視点や努力によって、設計の最大手組織で今の立場をつくったのか。手本ともいえる2人に聞いた。

次々と続くプロジェクトで、建築界を先導する新しい試みを具現化し、日建設計の顔となった。面目躍如たるアイデアの源泉と、それを実現させる秘訣はどこにあったのか。2020年に還暦を迎えた山梨知彦氏に聞いた。

山梨 知彦氏
山梨 知彦氏
日建設計 チーフデザインオフィサー、常務執行役員(写真:日経アーキテクチュア)
注:青字は設計を担当した主なプロジェクト、赤字は資格取得
注:青字は設計を担当した主なプロジェクト、赤字は資格取得
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設計者としてのキャリアを振り返るとき、大きな節目と思える出来事やプロジェクトはありますか。

 個人的には、キャリアというのは学生や社会人になってからの話ではなく、生まれてからずっと続いているのではないかと思っています。その意味で言うと、私の場合、10歳のときに体験した「大阪万博(日本万国博覧会)」(1970年)は、設計の仕事を目指すようになった大きな出来事でした。

 建築を学んだ東京芸術大学時代は、出会った人たちから大いに刺激を受けました。大学の同期にはヨコミゾマコトさんや渡辺康さんがいたし、アルバイトで通った丹下健三さんの事務所では、その後、アーキテクトファイブを設立する松岡拓公雄さんや堀越英嗣さんとも出会いました。

 在学中、学内賞の「安宅賞」と、「卒業設計作品買い上げ賞」を受賞できたことで、将来デザイナーとしてやっていけそうだという手応えを得ました。ただ、その後の大学院は建築系ではなく、東京大学の都市工学を専攻しました。東京芸大で家具から建築までは学びましたが、将来のキャリアを考えると「都市」も学ぶ必要があるだろうと思ったからです。