東日本大震災直後、多くの建築関係者が被災地を訪れ、自分に何ができるかを考えたことだろう。しかし、よかれと思って持ち込んだ提案の多くは実現しなかった。復興に際して、建築家の出番は決して多くなかった。
伊東豊雄氏は、「結果的に、最低限のことしかできなくて、その最低限のことというのが『みんなの家』だった」と語る。伊東氏の挙げた「みんなの家」とは、被災地で家や仕事を失った人々が新しい生活を取り戻すための場だ〔図1〕。
震災直後、都内で伊東氏ら建築家5人が集まり、「帰心の会」を結成。伊東氏、妹島和世氏、山本理顕氏が中心となって若い世代の建築家に呼びかけ、建設費を募って被災地に計16棟のみんなの家を建設した。
時間がたつにつれ、運営や資金繰りが難しくなるケースが出てきたため、伊東氏らは「HOME-FOR-ALL」というNPO法人を2014年に設立。資金を集めるためのチャリティーイベント開催や、復興街づくりの推進などに取り組んでいる。
仮設住宅の解体に伴い撤去
仮設住宅団地の中に建てたみんなの家では、仮設住宅の解体に伴い、使い続けるか、撤去するか、選択を迫られるケースが少なくない。
最近では21年2月、岩手県釜石市平田で、仮設住宅団地の解体に伴い、みんなの家が撤去された。仮設住宅の浄化槽を使っていたため、存続させるには浄化槽の新設を要するなど、約1000万円の工事費がかかる。市は存続が難しいと判断し、約500万円を投じて撤去した。
建設時は無償で施工してくれたケースや資材の寄付などもあったため、「約2000万円で建てたものが、移設に約3000万円かかるケースもあった」(伊東氏)。それでも、今なお半数以上が使い続けられているのは、被災地のニーズを捉えていたからだろう。伊東氏らは自治体から維持管理や解体について相談があれば、費用の寄付を募ったり、改修計画を提案したりしている。伊東氏はこう言う。「みんなの家で積んだ経験を他の地域でも展開していきたい」