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海外案件が半数以上を占め、売り上げを伸ばし続ける隈事務所。所内の国際化やリモートワークの導入も進み、品質維持に向けた手立てが必要になってきた。新規開拓の「攻め」と同時に、隈研吾氏の譲れない一線の「守り」をどう両立するかが鍵だ。

 10年前は100人に満たない事務所だった。それが2021年5月時点で国内外の所員数は320人を超え、国内最大級のアトリエ設計事務所に成長〔図12〕。入所希望者は絶えず、快進撃はとどまるところを知らない。

〔図1〕10年で2倍以上の所員数へ
〔図1〕10年で2倍以上の所員数へ
「毎月のように入社試験を行っている」とある所員は言う。多いときには、面接を月に2度行うこともある。海外オフィスのスタッフも基本的に採用の決定権は東京にある(資料:取材を基に日経アーキテクチュアが作成)
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〔図2〕大きく3つの役職
〔図2〕大きく3つの役職
隈事務所では、パートナー、設計室長、主任技師がある。プロジェクトのマネジメントができると判断されると、設計室長に昇格する。近年は設計室長を増やす傾向にある(資料:取材を基に日経アーキテクチュアが作成)
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 隈研吾氏が事務所を設立したのは1990年。ポストモダン建築として名を残す「M2」が91年に完成したものの、建築界で批判を浴び、東京での依頼がぱたりと来なくなった。不遇の時代に、隈氏は高知県梼原町で職人と出会い、木材に魅了されていく。

 横尾実代表は、「風向きが変わったのは2000年ごろ」と振り返る。後に村野藤吾賞を受賞した「那珂川町馬頭広重美術館」(栃木県那珂川町)が00年に完成。02年には中国で「竹屋」も完成し、国内外のメディアに多数取り上げられたことで、オファーが急増した。

 近年は「国立競技場」といった国を挙げたプロジェクトにも携わり、日本を代表する設計事務所へ変貌した。21年5月時点で進行中のプロジェクトは国内外で445件、うち半数以上を海外が占める〔図3〕。さらに、帝国データバンクの調査によれば、20年7月決算の売上高は約45億8000万円。国内組織設計事務所のトップ20に比肩する規模といえる〔図4〕。

〔図3〕中国の好調ぶりが顕著
〔図3〕中国の好調ぶりが顕著
21年5月時点で進行中の案件数は全部で445件。このうち半数以上の253件が海外だ。コロナ禍でも中国の需要は旺盛で、さらに勢いを増しているという(資料:取材を基に日経アーキテクチュアが作成)
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〔図4〕売上高と利益が急上昇
〔図4〕売上高と利益が急上昇
隈事務所の直近5年の売上高、利益の推移(帝国データバンク調べ)。「各案件の設計料を変えたわけではなく、単純に案件数の増加が影響しているのだと思う」と、隈氏は説明する(資料:帝国データバンクの調査を基に日経アーキテクチュアが作成)
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