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社会で大きな話題となった国立競技場も、30年間の歴史では通過点だった。依頼が急増した時期、海外進出に乗り出した時期、大規模建築に挑んだ時期と、事務所にとっての転機は3つあった。関連する建築の写真とともに事務所の歴史を振り返る。

事務所の出来事 隈研吾氏個人の出来事

1990年~

  • 空間研究所設立(1987年)
  • 隈研吾建築都市設計事務所開設(90年)
  • 活動の場が地方に
  • 梼原町で最初の「隈建築」が完成(94年)
  • コロンビア大学院建築・都市計画学科講師に就任(94年)
M2(現・東京メモリードホール、東京都世田谷区、1991年)
M2(現・東京メモリードホール、東京都世田谷区、1991年)
(写真:日経アーキテクチュア)
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水/ガラス(静岡県熱海市、1995年)
水/ガラス(静岡県熱海市、1995年)
(写真:安川 千秋)
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2000年~

  • 仏パリにオフィスを開設(2008年)
  • 慶応義塾大学教授に就任(01年)
  • 東京大学教授に就任(09年)
石の美術館(栃木県那須町、2000年)
石の美術館(栃木県那須町、2000年)
(写真:日経アーキテクチュア)
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 転機 ❶  当時の事務所の到達点

高さを抑えた切妻屋根と、背後の山へと連続するようなプロポーションを持たせた「那珂川町馬頭広重美術館」。木のルーバーによる繊細なディテールは、隈研吾氏の評価を一変させた。事務所としても、1つの到達点を迎えた時期。

那珂川町馬頭広重美術館(栃木県那珂川町、2000年)
那珂川町馬頭広重美術館(栃木県那珂川町、2000年)
(写真:三島 叡)
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 転機 ❷  海外進出の足掛かりに

海外で初めて手掛けた本格的な建築が「竹屋」だった。現地職人の動かし方などもこの時期に学んだことが多い。竹屋はウェブや雑誌、広告など様々なメディアで取り上げられ、その後の海外進出の足掛かりとなった。

竹屋(中国・北京、2002年)
竹屋(中国・北京、2002年)
(写真:淺川 敏)
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2010年~

  • 東京オフィスを青山タワービルに増床(12年)
  • 北京にオフィスを開設(14年)
  • 上海にオフィスを開設(18年)
  • 高知県立林業大学校初代校長に就任(18年)

 転機 ➌  事務所で設計できる規模の限界を突破

10人を超える所員を配置し、事務所史上最大の規模だった「アオーレ長岡」。建物の外形ではなく、内包した空洞の中庭広場で勝負するという逆転の発想で、今もなお参考にされることの多い複合施設。

アオーレ長岡(新潟県長岡市、2012年)
アオーレ長岡(新潟県長岡市、2012年)
(写真:藤塚 光政)
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V&A Dundee(英国スコットランド・ダンディ、2018年)
V&A Dundee(英国スコットランド・ダンディ、2018年)
(写真:武藤 聖一)
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国立競技場(東京都新宿区、2019年)
国立競技場(東京都新宿区、2019年)
(写真:吉田 誠)
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2020年~

  • 北海道東川町でサテライトオフィス開設に向けて準備開始
  • 20年4月から東京大学特別教授・名誉教授
ところざわサクラタウン(埼玉県所沢市、2020年)
ところざわサクラタウン(埼玉県所沢市、2020年)
(写真:日経アーキテクチュア)
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