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 広島市内で最大規模の被爆建物「旧広島陸軍被服支廠(ししょう)」をご存じだろうか。軍服や軍帽などの製造や保管のために、旧陸軍が建設した軍需工場だ。米軍による1945年8月6日の原子爆弾投下でも倒壊を免れ、今なお工場施設のうち13年に竣工した倉庫4棟が現存している〔写真1図1〕。

〔写真1〕広島市内最大級の被爆建物
〔写真1〕広島市内最大級の被爆建物
倉庫は鉄筋コンクリート造・レンガ張り。1棟の大きさは、長さ約91m、幅約26m、高さ約15m。広島県に事前申請すれば、誰でも敷地内を見学できる(2022年3月末時点)。倉庫内の見学は不可(写真:広島工業大学の杉田宗准教授)
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〔図1〕2棟解体を表明するも白紙に
〔図1〕2棟解体を表明するも白紙に
被爆前に広島市内にあった旧陸軍施設の配置図。広島県は2019年12月、爆心地に近い1号棟以外を解体する方針を示した。国が所有する1棟については、20年2月に安倍晋三首相(当時)が「県の議論を注視し、状況を踏まえて対応する」とした(資料:アーキウォーク広島)
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 被服支廠は東京と大阪にも建設されたが、現存しているのは広島のみ。倉庫には爆風でひしゃげた鉄扉や窓枠がそのまま残っており、戦災を後世に伝える貴重な遺構だ〔写真2〕。

〔写真2〕現存する国内唯一の被服支廠
施設の鉄扉や窓枠は爆風で変形したままになっている(写真:アーキウォーク広島)
施設の鉄扉や窓枠は爆風で変形したままになっている(写真:アーキウォーク広島)
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被服支廠の内観。内部は鉄筋コンクリートでつくられており、レンガで覆われた外観とは印象が異なる(写真:アーキウォーク広島)
被服支廠の内観。内部は鉄筋コンクリートでつくられており、レンガで覆われた外観とは印象が異なる(写真:アーキウォーク広島)
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広島市南区の比治山から見た被服支廠。施設の周りには住宅地が形成されている(写真:アーキウォーク広島)
広島市南区の比治山から見た被服支廠。施設の周りには住宅地が形成されている(写真:アーキウォーク広島)
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 広島の被服支廠は耐震性不足などを理由に一旦は大半を解体する方針が決まったものの、保存を求める声が県内外から相次ぎ、改めて議論することになった経緯がある。

 ロシアのウクライナ侵攻では、住宅や学校、商業施設などが破壊され、無残な姿をさらしている。やがて始まるであろう復興の際は、こうした建物を保存し、戦争の記憶をいかに継承するかが課題になるはずだ。

 被服支廠の存廃を巡る議論を振り返りながら、戦災を後世に伝えることの難しさと価値を改めて考えたい。