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その時代に意匠や技術の粋を集め、社会の期待を背負って華々しく竣工した「名建築」がある。時が流れ、建築に求められる役割が変わったときに、「名建築」は建築界に何を残すのか。連載第1回は、超高層時代のはしりといえる東京海上日動ビル本館を取り上げる。

西側から見た、東京海上日動ビル本館の全景。行幸通りと日比谷通りが交わる交差点の北東側に立つ。左隣が1986年竣工の新館で、右奥に見えるのは東京駅(写真:吉田 誠)
西側から見た、東京海上日動ビル本館の全景。行幸通りと日比谷通りが交わる交差点の北東側に立つ。左隣が1986年竣工の新館で、右奥に見えるのは東京駅(写真:吉田 誠)
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 東京・丸の内で1974年3月に竣工した東京海上日動ビル本館(竣工時は東京海上ビルディング本館、以下東京海上ビル)。約半世紀がたち、建て替えのため、2022年10月に解体工事が始まる予定だ。前川國男(1905~86年)が、生涯で唯一手掛けた超高層ビルである。

 「ああ、あの赤いビルね」。東京海上ホールディングス(HD)の社員は本社に取引先を招く際、しばしそう声を掛けられたという〔写真1、2〕。

〔写真1〕前面道路から続く開放的な広場
〔写真1〕前面道路から続く開放的な広場
東広場を挟んで見た外観。手前の彫刻作品は「波かぐら」と呼ぶ流政之氏の作品。床面のタイルや壁面の御影石の仕上げも流氏の指導によるものだ(写真:吉田 誠)
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〔写真2〕サッシュ面は外部の構造躯体からセットバック
〔写真2〕サッシュ面は外部の構造躯体からセットバック
磁器質タイルを打ち込んだプレキャストコンクリートを、鉄骨造の外装に取り付けている。設計時はアルミ系素材も外装の候補に挙がった(写真:吉田 誠)
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