全5768文字
PR

坂倉準三(1901~69年)の建築群が集積していた三重県伊賀市旧庁舎の敷地内で、唯一解体を免れたのが旧南庁舎(竣工時は上野市庁舎)だ。解体を止めてから10年がたつ。伊賀市は、旧庁舎の転用を観光活性化のPFI事業に組み込み、再生への一歩を踏み出す。

2019年に新庁舎へ業務が移転し、がらんとした状態の1階南側。天井高が5.59mと高い。庁舎時代は机や棚がぎっしり並んでいたが、空になったことで、コンクリート打ち放しの柱梁がより印象的に見えるようになった。PFI事業による改修が実施されると、このスペースは図書館となる見込みだ。ガラスとスチールのシンプルな開口部や、六角形の磁器質モザイクタイルをびっしりと張った床をどう生かすかが改修時の難題になりそうだ(写真:母倉 知樹)
2019年に新庁舎へ業務が移転し、がらんとした状態の1階南側。天井高が5.59mと高い。庁舎時代は机や棚がぎっしり並んでいたが、空になったことで、コンクリート打ち放しの柱梁がより印象的に見えるようになった。PFI事業による改修が実施されると、このスペースは図書館となる見込みだ。ガラスとスチールのシンプルな開口部や、六角形の磁器質モザイクタイルをびっしりと張った床をどう生かすかが改修時の難題になりそうだ(写真:母倉 知樹)
[画像のクリックで拡大表示]
[画像のクリックで拡大表示]
北東側から見た外観。コンクリート打ち放しの列柱が印象的。現行法規では地上3階建てだが、本記事では竣工時の表現にならって1階・中2階・2階と表記する。当時、坂倉建築研究所大阪事務所で設計を担当した好川忠延氏は、「坂倉(準三)さんは細部と全体を同時に考えるようなところがあり、特に立面のバランスを何度も描き直しさせられた記憶がある」と振り返る(写真:母倉 知樹)
北東側から見た外観。コンクリート打ち放しの列柱が印象的。現行法規では地上3階建てだが、本記事では竣工時の表現にならって1階・中2階・2階と表記する。当時、坂倉建築研究所大阪事務所で設計を担当した好川忠延氏は、「坂倉(準三)さんは細部と全体を同時に考えるようなところがあり、特に立面のバランスを何度も描き直しさせられた記憶がある」と振り返る(写真:母倉 知樹)
[画像のクリックで拡大表示]
2階に2つある屋上庭園の1つ。突き出したコンクリートのといから、庭園の岩場に雨水を落とす演出。2階は中央に議場があり、その南北に2つの屋上庭園、それらの周りに議員控室や市長室などの諸室が取り巻く「日」の字の平面構成(写真:母倉 知樹)
2階に2つある屋上庭園の1つ。突き出したコンクリートのといから、庭園の岩場に雨水を落とす演出。2階は中央に議場があり、その南北に2つの屋上庭園、それらの周りに議員控室や市長室などの諸室が取り巻く「日」の字の平面構成(写真:母倉 知樹)
[画像のクリックで拡大表示]
北側の中2階から南側の1階を見る。北側は3層あり、南側の1階から北側中2階へと同じ天井高で半層上がる立体的構成。この建築には坂倉が師事したル・コルビュジエの「近代建築5原則」(ピロティ、自由な平面、自由な立面、水平連続窓、屋上庭園)が全てそろっている(写真:母倉 知樹)
北側の中2階から南側の1階を見る。北側は3層あり、南側の1階から北側中2階へと同じ天井高で半層上がる立体的構成。この建築には坂倉が師事したル・コルビュジエの「近代建築5原則」(ピロティ、自由な平面、自由な立面、水平連続窓、屋上庭園)が全てそろっている(写真:母倉 知樹)
[画像のクリックで拡大表示]
東側中央の正面玄関内の吹き抜け。1階から2階へ向かうコンクリート製の階段は、大きならせんを描いて緩やかに上る。金属の手すり繊細さも“階段の名手”である坂倉らしい(写真:母倉 知樹)
東側中央の正面玄関内の吹き抜け。1階から2階へ向かうコンクリート製の階段は、大きならせんを描いて緩やかに上る。金属の手すり繊細さも“階段の名手”である坂倉らしい(写真:母倉 知樹)
[画像のクリックで拡大表示]
議場。天井は棟の部分が低くなった曲面。2つの屋上庭園に挟まれており、設計段階では「ガラス張りにして屋上庭園に開く案も検討した」(好川忠延氏)と言う(写真:母倉 知樹)
議場。天井は棟の部分が低くなった曲面。2つの屋上庭園に挟まれており、設計段階では「ガラス張りにして屋上庭園に開く案も検討した」(好川忠延氏)と言う(写真:母倉 知樹)
[画像のクリックで拡大表示]
屋上庭園を見下ろす。右側が議場。凹型の屋根から雨水が落ちる。ガラスの三角屋根は、トップライトの漏水対策として竣工後に設置されたもの(写真:母倉 知樹)
屋上庭園を見下ろす。右側が議場。凹型の屋根から雨水が落ちる。ガラスの三角屋根は、トップライトの漏水対策として竣工後に設置されたもの(写真:母倉 知樹)
[画像のクリックで拡大表示]
東側の中央玄関。今も残る「ようこそ忍者市へ」という垂れ幕に、伊賀市の忍者観光への力の入れようが分かる(写真:母倉 知樹)
東側の中央玄関。今も残る「ようこそ忍者市へ」という垂れ幕に、伊賀市の忍者観光への力の入れようが分かる(写真:母倉 知樹)
[画像のクリックで拡大表示]

 新庁舎への業務移転で明かりが消えて3年がたつ旧上野市庁舎(伊賀市旧南庁舎)〔写真1〕。その未来を左右するPFI(民間資金を活用した社会資本整備)事業、「伊賀市にぎわい忍者回廊整備(忍者体験施設等整備)」の公募型プロポーザルの結果が5月17日に発表された。

〔写真1〕「城山の風景」と対比させた水平線のデザイン
〔写真1〕「城山の風景」と対比させた水平線のデザイン
北東から見た外観。南(左)方向に上野市駅、北(右)方向に伊賀上野城があり、敷地は南から北に緩やかに上っている。その傾斜に合わせて北側に中2階を差し込み、利用者が自然に上っていく形にした。坂倉の庁舎建築には珍しい横長のデザインだ。建築史家の鈴木博之(1945~2014年)は、「水平線を強調したデザインを展開して城山の風景と対比させながら、地域のシンボルとして中心的な景観を形成している」と評した(DOCOMOMO Japan代表としての保存要望書/2009年12月より)(写真:母倉 知樹)
[画像のクリックで拡大表示]

 応募したのは人材派遣会社のヒト・コミュニケーションズを代表とする「伊賀マネジメントグループ」1者で、審査の結果、同グループが優先交渉権者に選ばれた〔図1〕。構成企業には若手のMARU。architecture(マル・アーキテクチャ)(東京都台東区)も名を連ねる。市と事業者の契約は9月の予定だ。

〔図1〕優先交渉権者のチームにはMARU。architectureも
〔図1〕優先交渉権者のチームにはMARU。architectureも
PFIの公募で優先交渉権者に選ばれた「伊賀マネジメントグループ」による旧庁舎改修後の外観イメージ図。チーム内で設計の中心となるMARU。architectureの共同主宰者である高野洋平氏は、「旧庁舎の実物を見て、プロポーションの美しさに心を打たれた。その骨格や内部の立体構成を生かすことはもちろん、ランドスケープを見直すことで、街との関係を結び直したい」と話す(資料:MARU。architecture)
[画像のクリックで拡大表示]

 伊賀市の岡本栄市長は、「応募があってよかった」と安堵する。庁舎の保存を訴え、2012年に市長に初当選。3期10年、この問題に取り組んできた。「坂倉準三の庁舎を“群”として残したかった、という気持ちは今もある。しかし、残された可能性の中で最良の方法を探り続けた結果が今回のやり方だ」(岡本市長)