広谷純弘氏は、事務所のパートナーの石田有作氏とともに、自然光を可視化する建築をつくり続けてきた。近作では一転、光の可視化を避け、むしろ存在を感じさせないような光の在り方に挑戦した。
- 昔から建築家は、それ自体は見えない光を、建築によって可視化してきた
- 「総持寺POTALA」では、山並みのような屋根を内側から感じる光を追求した
- 「田辺聖公会マリア礼拝堂」では、光を可視化しない建築空間を試みた
広谷さんは、建築の中でどのように光を取り入れてきましたか。
建築にとって光は親しい友人という意識が、私の中にはあります。光自体は、人間の目には見えません。影ができるとか、絞られた開口から入る一条の光であるとか、あるいはステンドグラスの色彩を通して光を認識します。特に、自然光が何らかの形で建物に現れるとき、その場にいる人たちは光を感じ、建築を感じます。
広谷さん自身は、学生時代や、師事した建築研究所アーキヴィジョンの戸尾任宏さんから、光について学んだことはありましたか。
私自身は、ルイス・カーンのほか、ルイス・バラガンやカルロ・スカルパの影響を受けていると思います。大学では「水と光」がテーマの研究室に在籍していたので、どこかで水と光が作品のテーマになっています。
就職して師事した戸尾さんは、ロマネスク建築を研究されていました。ロマネスクの様式は何かを象徴的に見せるわけではありませんが、当時、戸尾さんが「薄暗い空間にぼんやりと光が広がっているのがとてもよかった」と話していた記憶があります。
戸尾さんの下で初めて設計を担当した「湯沢町歴史民俗資料館」(1983年)は、建物の妻面頂部から光を取り入れるものでした。その他でもトップライトを用いたり、窓からの光を天井に反射させたりしました。