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日本を代表する現代建築の1つ「せんだいメディアテーク」。設計競技では、ほぼ前例のない公開審査を行った。審査委員長を務めた磯崎新は、なぜそれを仕組んだのか。生涯、コンペに注いだ磯崎の情熱を解き明かす。

 約200人が詰めかけた会場には異様な熱気が漂っていた。審査委員が作品を手に取る様子がモニターに映し出されると、その一挙一動に歓声を挙げる集団がいれば、悲嘆に暮れる集団もいた──。

 1995年3月13、14日の2日間、仙台国際センターでは仙台市が「(仮称)せんだいメディアテーク」設計競技(コンペ)の第3回審査委員会を開いていた〔図1〕。そこで実施されたのが審査過程を別室に映し出す「審査ライブ中継」だ。コンペなどの公開審査は今でこそ増えたが、28年前はほぼ前例のなかった時代だ。

〔図1〕せんだいメディアテーク竣工までの経緯
〔図1〕せんだいメディアテーク竣工までの経緯
新市民ギャラリーや図書館など4つの機能を複合する新施設の公開設計競技として、当時の注目を集めた。施設名に「メディアテーク」を入れることは磯崎新が提案したもので、フランスで「メディア関連の施設を収容する館」という意味の用語として使われていた(資料:取材や『(仮称)せんだいメディアテーク設計競技記録』など資料を基に日経アーキテクチュアが作成)
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 中継会場には解説者で早稲田大学教授(当時)の石山修武氏、聞き役でタスデザイン室代表(同)の結城登美雄氏が待機し、審査の進行に合わせて軽妙なやり取りを交わした「(審査委員の)藤森(照信)さんは絶対にこの案で口を挟むよ……ほらね」などと、ユーモアを加えつつ、一般の市民でも分かるように審査のポイントを解説した。

 市の事務局員としてコンペを企画から担当し、後にせんだいメディアテークの副館長も務めた佐藤泰美氏は、「会場には市民よりもコンペに応募した建築関係者が多い印象だった。真剣勝負の中、石山さんらの解説がなければ中継会場は殺伐としていただろう」と振り返る。