建築設計にとどまらない膨大な活動で、建築界に大きなインパクトをもたらしてきた磯崎新。磯崎の活動の中から主要なプロジェクトや著作、世間をにぎわせた出来事を選び、年表にまとめた。磯崎と関係が深かった人物たちによる裏話と共に、91年の激動の生涯を振り返る。

建築は同時代の芸術と一緒にあるという感覚は、磯崎さん独特のものだ。現代美術に深く通じ、美術界の動向を建築界に“密輸入”した。磯崎さんは過激で破壊的だった前衛芸術集団と親しくしていた。だが、「彼らと一緒に崖から谷に向かって飛ぶことはしない。崖っぷちのギリギリで踏みとどまる」と言い、建築家としての立場を自覚していた。
磯崎さんは日常の生活と植物には本当に興味がなかった。私の家(タンポポハウス)に来た時、トクサを見て、これは何かと聞かれた。トクサはお茶室の内装にも使われるが、磯崎さんは知らなかった。水戸芸術館の広場の道路寄りに木が植えてある。当時アトリエで担当していた青木淳くんが、このままではあまりにも無機質だからと植えたそうだ。(談)

大分市内で過ごした高校時代に、大分県立大分図書館が竣工した。建物を初めて見た時は衝撃を受けた。ほぼ毎日通った思い出がある。僕の建築の原点と言える。その後、1992年に「図書館が取り壊されるらしい」と当時の県職員だった末成祐二さんに知らされた。日本建築界にとって重要な作品であり、大分市のシンボルでもある。決して壊すべきでないと考え、仲間と保存運動を起こした。磯崎さんは建物の行方を若い僕たちに託してくれた。(談)