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磯崎新は希代の建築プロデューサーだ。「ネクサスワールド」「ハイタウン北方」など記憶に残る多くの事業の中でも、影響の大きさでは「くまもとアートポリス(KAP)」だろう。異色の仕組みはなぜ続いたのか。

 くまもとアートポリス(以下、KAP)の公式な目的は、「後世に残る文化的資産を創造する」ことである。では、初代コミッショナーである磯崎新がKAPでやろうとしたことは何だったのか。答えの1つは、KAP初期の建築群を見て回れば分かる〔写真1〕。

〔写真1〕公共施設“初挑戦”組がズラリ

磯崎コミッショナー時代(1988~98年)の主なKAP建築を巡った。「これらがなかったら今の日本建築界は全く違うものだったろう」と思わずにいられない。以下は順に、プロジェクト名/竣工年月/事業主体/設計者/付記。

篠原一男+太宏設計事務所
篠原一男+太宏設計事務所
プロジェクト名:熊本北警察署(現・熊本中央警察署/竣工年月:1990年11月/事業主体:熊本県/設計者:篠原一男+太宏設計事務所/付記:住宅中心だった篠原一男氏にとって初めて街中に建てた公共施設(写真:宮沢 洋)
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山本理顕
山本理顕
プロジェクト名:県営保田窪第一団地/竣工年月:1991年8月/事業主体:熊本県/設計者:山本理顕/付記:山本氏にとって初の公共建築。賛否両論あり、KAPへの注目を高めた(写真:宮沢 洋)
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葉 祥栄
葉 祥栄
プロジェクト名:三角港フェリーターミナル(海のピラミッド)/竣工年月:1990年2月/事業主体:熊本県/設計者:葉祥栄/付記:葉氏は小国ドームの実績を買われて目玉施設に起用(写真:宮沢 洋)
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早川邦彦
早川邦彦
プロジェクト名:熊本市営新地団地A/竣工年月:1991年5月/事業主体:熊本市/設計者:早川邦彦/付記:一連の住宅を対象に日本建築学会賞作品賞を受賞(写真:宮沢 洋)
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緒方理一郎
緒方理一郎
プロジェクト名:熊本市営新地団地B/竣工年月:1992年3月/事業主体:熊本市/設計者:緒方理一郎/付記:緒方氏は熊本県出身の注目の建築家だったが完成を見ずに1990年9月逝去(写真:宮沢 洋)
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伊東豊雄
伊東豊雄
プロジェクト名:八代市立博物館・未来の森ミュージアム/竣工年月:1991年3月/事業主体:八代市/設計者:伊東豊雄/付記:伊東氏初の公共建築で大きく飛躍(写真:宮沢 洋)
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妹島和世
妹島和世
プロジェクト名:再春館製薬女子寮(再春館製薬所紫陽花寮)/竣工年月:1991年7月/事業主体:再春館製薬所/設計者:妹島和世/付記:KAP初の民間施設。妹島氏は日本建築家協会新人賞(写真:宮沢 洋)
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坂本一成+長谷川逸子+松永安光
坂本一成+長谷川逸子+松永安光
プロジェクト名:熊本市営託麻団地/竣工年月:1994年4月/事業主体:熊本市/設計者:坂本一成+長谷川逸子+松永安光/付記:3人が設計した住棟をまじり合うように配置(写真:宮沢 洋)
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レンゾ・ピアノ+ピーター・ライス+岡部憲明+マエダ
レンゾ・ピアノ+ピーター・ライス+岡部憲明+マエダ
プロジェクト名:牛深ハイヤ大橋/竣工年月:1997年8月/事業主体:熊本県/設計者:レンゾ・ピアノ+ピーター・ライス+岡部憲明+マエダ/付記:土木デザインの可能性を示した(写真:宮沢 洋)
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 それは、公共建築に縁遠かった多くの設計者に、飛躍のチャンスを与えたことだ。類似分野の実績がなく、競争入札の参加資格すらない小事務所の主宰者や海外の設計者たちに、特命で設計業務が発注された。

 脱・競争入札型の設計者選定制度としては、1982年に東京都で建築設計候補者選定委員会が立ち上がっていた。有識者による委員会が設計者を推薦する制度だ。

 KAPはその延長にあるものだが、決定的に違うのは磯崎が原則1組の設計者を発注者に推薦することだ。磯崎は、「従来のようなプロデューサーやコーディネーターではなく、個人が自分の発言と推薦に責任を持つコミッショナー」という立場に意味を見いだした。中立性を保つために、自ら設計はしない。事務局を務めるのは熊本県で、県内の市町村も参加できる。民間事業者にも門戸を開いた。

 事業のスタートは88年5月。細川護熙県知事(当時)がIBA(ベルリン国際建築展)のようなまちづくりを着想し、磯崎に相談。磯崎がアドバイザーの堀内清治氏(1925~2008年、当時は熊本大学教授)やディレクターの八束はじめ氏らと設計発注の仕組みをつくり上げた。