磯崎新はデビューから晩年まで、建築家として類がないほど旺盛な執筆活動を行った。建築ライターの磯達雄氏が、磯崎を理解するために重要な言葉を選び出して解説する。

廃虚
付きまとうイメージ
1960年に東京で開催された世界デザイン会議をきっかけとして「メタボリズム」という建築運動が起こり、メガ・ストラクチャーによる大胆な都市建設の提案を行う。そのメンバーと磯崎新は近しい関係にあり、自身も「空中都市」(60年)などメタボリズムに類する構想を発表していた。
しかし、磯崎はメタボリズムのグループに加わらない。そこにはやはり決定的な指向の違いがあった。メタボリズムが描く明るい未来都市のイメージを肯(がえ)んじることができなかったのである。そして磯崎は未来都市に廃虚を重ねたコラージュ「孵化(ふか)過程」(62年)を発表する。
廃虚のイメージはその後も強迫観念のように磯崎の作品に付きまとう。例えば「つくばセンタービル」(83年)のサンクンガーデンにも表れている。
プロセスプランニング
建築は変化し続ける
建築家として実作をつくるようになった磯崎が、自らの建築論としてまず唱えたのが「プロセスプランニング」だった。これは建築を形が定まったものではなく、常に変わっていくものとして捉える見方である。
建築は計画の段階で与件が変わり、それに従って設計変更が繰り返される。そして完成し、使われるようになってからも変化を続け、改修や建て替えが行われていく。建築家が関われるのは、永遠に続いていく建築の過程を「切断」することであり、その一瞬が竣工なのである、と捉えたのだ。
「大分県立大分図書館」(66年)の切りっぱなしにされたようなチューブ状の梁は、これを表現したものである。そしてこの建物は、図書館から「アートプラザ」へと転じて、現在に至っている。
見えない都市
実体のない仮想空間へ
磯崎は当初、建築家ではなく都市デザイナーを名乗っていた。しかしそのデザイン対象は、実体的な都市ではなく、象徴的な都市である。彼には都市というものが、ますます目には見えないものとなっていくという実感があった。
「見えない都市」の究極の姿として、磯崎が発表した都市プロジェクトが「コンピューター・エイディッド・シティー」(72年)だった。これはアーサー・C・クラークのSF小説(おそらく『都市と星』)をアイデアの源にした、超大型コンピューターによって全ての活動がコントロールされた都市である。その中で人は計算される対象にすぎない。これを現在、注目を集めているメタバースのようなコンピューターによる仮想空間に構築された都市を先取りしたものと見ることも可能だろう。