自由曲面の大屋根や、生き物のような流動的な構造形態──。1980年代以降、前衛的な建築デザインが増えていった磯崎新。中・後期の磯崎建築を構造面で支えてきたのが佐々木睦朗氏だ。(聞き手は坂本 曜平)
佐々木さんが実践している「フラックス・ストラクチャー」は、磯崎さんが名付けたと聞いています。
そうです。2002年に磯崎さんとフィレンツェ新駅のコンペ案を考えているときでした〔図1〕。生物のように血が流れているイメージの、流体的な構造を見た時に磯崎さんが、「『フラックス・ストラクチャー』がいいんじゃない?」と。私は「fluid(流体)」と考えていたのですが新鮮さがないと思っていたので、「flux(流れ、流動)」と聞いて「それだ!」と思って飛びつきました(笑)。
磯崎さんとはいつ頃から一緒にプロジェクトに取り組むようになったのでしょうか。
私は大学院卒業後、木村俊彦構造設計事務所で働いていました。つくばセンタービルの設計を手掛けている頃から磯崎さんと面識はありましたが、私が独立してしばらく接点がありませんでした。1990年代に入り、静岡市のグランシップの構造設計を木村俊彦さん(1926~2009年)と私で共同設計のような形で、私が高層棟を担当してからです〔写真1〕。

ささき むつろう(佐々木睦朗構造計画研究所 代表取締役)
1946年生まれ。68年名古屋大学工学部建築学科卒業。名古屋大学大学院修了後、木村俊彦構造設計事務所を経て、80年に佐々木睦朗構造計画研究所を設立。名古屋大学教授などを歴任
その後、1995年のせんだいメディアテークのコンペで、構造について審査員が聞きたがっているということで、2次審査の時に伊東豊雄さんと、審査委員長だった磯崎さんに説明しに行ったこともありました。独立後にこうした接点があって、磯崎さんに私がやることを面白がってもらえたようで、98年に北京の国家大劇院のコンペを一緒にやらないかと声をかけていただきました。
自由曲面の大屋根を架けたデザイン案ですね。
そうです。磯崎さんがデザインした、ぐにゃーっとした大屋根を構造的に実現させるために、1カ月ぐらいスタッフも必死になって応力や変形を解析して何とか大丈夫そうだというところまでこぎつけました。ですが、当時の審査員には「本当にできるのか」と疑問を持たれて、結果的に次点で実現しませんでした。
その時の「副産物」と言ったら磯崎さんに怒られてしまうかもしれませんが、コンピューターや情報技術などを使ってもっと効率的に解析できないかと考えるようになりました。