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まだコンピューターが一般に普及していなかった時代から磯崎新は技術が発展した未来の社会を見据えていた。磯崎が「予言」した都市は、DX(デジタルトランスフォーメーション)が進んだ現代の都市そのものと言える。

 ネットワーク社会の進展や環境の重要性、デジタル技術を活用した建築設計──。これらは近年の建築界での重要項目となっている。1970年代からいち早く情報やコンピューターに着目していた磯崎新の先見性に驚かされる。芸術や文化、都市、国家など様々な分野に精通していた磯崎を語るうえで、実は「テクノロジー」というキーワードが欠かせない。

 「80年代後半にバーナード・チュミ氏が米コロンビア大学で取り組み始めたペーパーレス・スタジオが、今のデジタル設計につながる取り組みの始まりだった。その前段階としてテクノロジー活用の潮流を生んだのが磯崎だったのではないか」。こう語るのは隈研吾建築都市設計事務所(東京都港区)の隈研吾氏だ。

 隈氏は磯崎のテクノロジー活用についてこう分析する。「当初、磯崎は形を生成するためではなく、形のニヒリズム(虚無主義)に向けて、テクノロジーを取り込んでいった。そういう意味ではパイオニアに違いない」

 磯崎のテクノロジーへの興味をかき立てたのは、70年の大阪万博だ。産業革命以来の技術進歩に伴って、大気汚染や水質汚濁などの環境問題が表面化していくなかで、万博は「人類と進歩の調和」をテーマに開催された。師事していた丹下健三と共に、磯崎は万博で中心のシンボルゾーン「お祭り広場」の演出用諸装置の設計リーダーを務めた。磯崎は広場を、コンピューターを媒介に人とロボットが融合する「サイバネティック・エンバイラメント」として編成した。

 エンバイラメント(環境)は磯崎が注目していたワードの1つだ。磯崎新アトリエOBの渡辺真理氏(A・D・H共同代表)は、「磯崎は建築も環境、地球も環境と捉えて、環境データの分析などに興味を持っていた。アトリエ設立後、芸術家の山口勝弘と『環境計画』という会社を設立したほどだ」と振り返る。