明治時代には文豪も訪れた、今はさびれた山間の別荘エリアは観光資源に乏しい。別荘や周辺施設は老朽化し、快適な宿泊が楽しめる状態にはない。だが「シェア」の発想を持ち込めば、自然を好む潜在客層にアピールできるはずだ
「西部課長、これといった特色がない地域に客を引き込む方法ってないですかね?当行商圏の夕焼け里町(ゆうやけさとまち)には、集客施設も観光名所もなく、衰退する一方です」
システム企画室の岸井雄介は始業前に自席で本を読んでいる経営企画課長の西部和彦に聞いた。
「夕焼け里か、あそこは過疎地域で、何もない場所だな。隣にはベッドタウンの七姫子市(ななひめこし)があって周辺人口だけは多いけどな。客は夕焼け里の奥にある人馬山(じんばやま)に行ってしまい、夕焼け里にあるのは、きれいな山、広い草原、朝焼け、青い空、星空くらいだな。今度は過疎地の集客を企画しているのか?」
「うちの頭取が友人である町の助役に活性化支援を依頼されたようです。夕焼け里町は風光明媚(めいび)な場所のため明治時代は文豪の避暑地で多くの別荘がありました。しかし、現在は別荘建物の老朽化が激しく、広い土地と良い景観があるにもかかわらず誰も住んでいません。夕焼け里町ではこの空き別荘を整備して別荘事業を再興したいようです」
「でもな、別荘事業再興といっても何もない地域に別荘を買う人がいるかな?近くに観光地がないと売れないけど、観光施設をつくるにはコストと時間がかかるぞ」
「課長もそう思いますか。池田担当課長からも同じことを言われました」
「新規ビジネス企画課の池田里子担当課長か?」
「そうです。池田さんに夕焼け里町の事業戦略について説明したら、『事業のつくり方が単純』って言われてしまいました」
岸井雄介は35歳、西日本の地方銀行A銀行に入社以来システム開発に従事し、現在はシステム企画室の課長補佐である。最近A銀行が買収したFintech子会社の企画部と兼務になり、さらにグループ横断的検討プロジェクトのメンバーになった。
西部和彦は37歳、A銀行でシステム企画を長く担当し、多くの仕事を成功させてきたエース人材で、岸井の大学の先輩でもある。出向していたITコンサルティング会社から復帰し、事業への貢献が認められ、経営企画課長に昇進した。
岸井は現在、新規ビジネス企画課と共同で、A銀行の商圏にある夕焼け里町の活性化企画を検討している。そこでは近年大幅に人口が減少し、地域ビジネスは縮小傾向である。
A銀行は、地域の特産品を開発したり、地域の観光資源を利用したりしている。コロナ禍以前には、海外からのインバウンド客や国内客を呼び込み、地域のビジネス活性化に取り組んできた。これまでに健康野菜、ここでしか飲めない醸造地酒/地ビール、ブランド養殖魚などのオリジナル商品を開発して直営の古民家レストランやカフェなどで販売し、人気商材となっていた。
また景観を生かした郭公巣渓谷(かっこうすけいこく)にある古別荘の空中カフェの集客、霊山御岩神社(みいわじんじゃ)門前町のデジタルマーケティングを使った活性化も全国から注目されていた。
これらの業績を知った夕焼け里町の助役は、商材の乏しい同町の活性化策を友人のA銀行頭取に依頼した。頭取は企画担当役員を通じて、新規ビジネス企画課に企画の検討を指示した。
この検討の担当になったのが、新規ビジネス企画課の池田担当課長とこれまで古民家レストランや空中カフェ、門前町デジタルマーケティングを担当してきた岸井である。岸井は、他の地域の地域活性化状況を詳細に調査し、池田に説明した。
「池田さん、当行商圏には3つの特徴の異なる地域があり、それは都市部、山間部、臨海部です。都市部は七姫子市や都築町(つづきちょう)という商業地やベッドタウンであり人口が多い地域です。山間部や臨海部は人口が減少している地域です。山間部には、人馬山や郭公巣渓谷などの大きな観光商業地もありますが、多くは過疎化が進みつつある地域で、夕焼け里町のように観光・商業施設がない場所です。山間部の夕焼け里町にあるのは、広大な土地、きれいな山、青い空、星空、野生動物、川魚くらいです。ただし、これらを好む人もいるようで、不法なキャンプが絶えません。地域住民は治安が悪いと怒っています。今でこそ特徴のない地域ですが、明治時代の夕焼け里町は景観を生かした別荘地が多く、文豪が都市部から避暑にきて作品を執筆しました。このため大きな敷地の別荘がありますが老朽化して住める状態ではありません。夕焼け里町の助役は、地域活性化のため全国を視察し、その中で山陽地域の明治文豪をコンセプトにした別荘地の再開発事例を気に入ったようです。そこで、夕焼け里町も別荘地を再開発できないか考えています」