全3336文字
PR

機械学習モデル(AI)を業務に適用した後の保守フェーズで、精度が低下することがある。カメラの位置や照明などAIに関わる環境が変化するため、無策では精度を維持できない。今回はこの「保守の壁」を取り上げ、あらかじめ精度低下を想定し備える方法を解説する。

 筆者はソフトウエアエンジニアリングを研究しており、AI活用に取り組む企業の協力を得て調査したところ、AIのスピーディーな業務適用を妨げる3つの壁が浮かび上がった。

 前回までに、部品の発注タイミングのような業務制約が機械学習モデルの導入によって守れなくなる「業務制約の壁」、業務のやり方が変わるという説明が不十分で現場作業者の反発を招く「業務変更の壁」を取り上げた。

 今回は、3つめの「保守の壁」について解説する。前回までと同様に、大手製造業でデジタルトランスフォーメーション(DX)に取り組むAさんの架空ストーリーを通じて、具体的にどんな壁に直面するのかを見ていこう。

 大手製造業のDX(デジタルトランスフォーメーション)部門の担当者であるAさんは、工場での生産の効率化、製品の品質向上を目的として、自社の生産システムに機械学習モデルを導入できないか検討した。導入できそうな部分を見つけるだけでも簡単ではなく、既存業務の変更が必要になり調整に時間がかかったが、生産設備の消耗部品の交換時期について予測を試行することになった。3カ月の試行期間で問題がなければ、実運用となる予定である。

 試行期間が始まってしばらくの間は順調であったが、試行を始めて1カ月が経過したころ様相が変わった。「予測が当たらなくなってきている」という旨の連絡を、業務の現場担当者から受けたのだ。

 連絡してきたのはBさんだ。消耗部品の監視や交換作業を担当しており、この取り組みに生産設備の保守担当者として協力してくれている。Bさんはこう話した。「設備の自己診断機能によって緊急停止したため、目視で消耗部品を確認したところ、劣化が進んでいたので交換しました。機械学習モデルの予測よりも早く部品が寿命を迎えた形です。これまでの1カ月間、こういうことはありませんでした。初めてのケースです」。

 Aさんは定時後に、生産設備がある場所へ足を運び、Bさんの協力のもと改めてモデルが誤判定するのか確かめることにした。生産設備は繁忙期でないときは定時で停止するので、快く応じてもらえた。

 交換時期の予測に失敗し、既に交換しなければならない状態になっている消耗部品を、Bさんに頼んで生産設備に再び取り付けてもらった。その状態でカメラによって撮影し、画像をテスト用の環境に入力し予測させた。すると、機械学習モデルは「まだ消耗していない」と間違って判定した。

 画像を過去のサンプルと比較してみると、カメラの位置が当初よりずれていることが分かった。カメラを設置するとき生産設備に直接取り付けていたため、生産設備の振動により少しずつズレたと見られる。これにより、照明の光の当たり方が変わってエッジ(輪郭)の検出に失敗したようだ。

 カメラの取り付け具を元の角度に戻し、再びカメラで撮影した画像を機械学習モデルに与えたところ、「交換が必要である」と正しく判定できた。そこで、取り付け具を生産設備から独立させて設置できるよう手配することにした。

 Aさんはほかにも影響が出そうな原因がないか生産設備の周りを見渡した。すると、工場の窓から差し込む太陽光の消耗部品への当たり方に変化があることに気づいた。

 生産設備は屋内に設置されているが、建物の高い位置に窓があり、日中はそこから太陽光が入る。春から秋にかけての季節は、太陽光は生産設備に直接当たっておらず、照明を付けている。そのため昼夜の差はあまりない。しかしこれから冬になると、日中に強い太陽光が当たる可能性がありそうだ。しかも、太陽光の一部をカメラが遮り、消耗部品にカメラの陰ができるかもしれない。

 Aさんは、太陽光の変化も消耗部品のエッジの検出に影響を与えるかもしれないと考えた。その防止策として、太陽光を遮るひさしを取り付けることにした。

 Bさんにこうした状況を伝えると、「そういえば、消耗部品は年単位で工場が変わることがあるみたいで、そのときには色味が変わるようです。機械学習モデルはそれに対応できるものなんですか?」と聞かれた。

 Aさんは回答に窮した。そこまで考えていなかったからだ。Bさんと話した後、カメラの寿命も考えなければならないこと、カメラに接続している画像を解析するためのパソコンやそれらをつなぐネットワークにトラブルが起こる可能性を十分に考えていないことに気づいた。