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過去の経験を踏まえなかった

 なぜHER-SYSは医療機関や保健所からそっぽを向かれてしまったのか。それは過去の「経験」を踏まえなかったため、現場の実情に合ったシステムを設計・開発できなかったからだ。

 HER-SYSは冒頭のツイートがきっかけで「ファクスをなくす仕組み」として注目されたが、実はツイートの1カ月前、2020年3月には厚労省が既に構想を固めていた。その後、2020年4月8日に2020年度補正予算で開発費9億7000万円を確保し、4月下旬には元請けにパーソルプロセス&テクノロジー(パーソルP&T)を選定。同社は米マイクロソフトのクラウドサービス「Azure」上でHER-SYSをスクラッチで開発し、約1カ月間で稼働させた。

 通常、厚労省で感染症対策を担うのは結核感染症課だが、HER-SYSの仕様策定は省内ITを担当する情報化担当参事官室が担当した。感染症対策の担当者とうまく連携できず、知見や経験が生かされなかった可能性がある。当時の厚労副大臣でHER-SYS導入に取り組んだ橋本岳衆院議員は「結核感染症課は目の前の新型コロナ対策で手いっぱいで、できる部署に割り振らざるを得なかった」と振り返る。

 もともと日本には感染症法に基づき、医師らが発生届をファクスで保健所に送り、保健所と自治体が「感染症サーベイランスシステム(NESID)」に入力・精査して国立感染症研究所などが集計・分析する枠組みがある。田中医長がTwitterで訴えた発生届のファクス送信とはこのことだ。

 ただNESIDは日次のデータ分析には対応しておらず、集計には数週間待たなければいけない。新型コロナ対策で必要だったリアルタイムの情報収集と分析によるクラスター対策には向かなかったわけだ。そこで厚労省はクラスター対策向けの情報収集もHER-SYSで対応しようとした。

 実は入力項目の多さから使われなくなったシステムが過去あった。2009年5月に最初の患者が発生した新型インフルエンザ対策で使ったNESIDのサブシステム「疑い症例調査支援システム」である。厚労省は過去の失敗を継承せず、再び犯したことになる。

 加えて、医療機関や保健所が新型コロナの感染調査の目的やHER-SYSに入力したデータ活用について、不信感を抱いていた点も見逃せない。感染症対策コンサルタントで東京都看護協会危機管理室アドバイザーの堀成美さんは「入力したデータを誰がどう使うのか、どう感染症対策に役立てるのか、具体的に分からなかった」と振り返る。川崎病院の田中医長も「本当にコロナ抑制のためになるのであれば、どんなに入力項目が多くても現場はやり遂げる。ただそれには意義が必要だ」と話す。取りも直さず厚労省の説明や情報開示が不十分だったことが原因だ。

 厚労省は2021年度もHER-SYS関連の予算を要求している。まずは現在進行形の新型コロナ対策に向けて、透明性を持った運用をもって関係者の信頼を回復する必要がありそうだ。並行して、過去の失敗や経緯をいかに次のシステム開発に生かすか、現場の知恵の継承も必要になってくる。

不透明さ残る発注 OSS技術者の善意が無に
接触確認アプリ「COCOA」

 政府が普及に力を注ぐ接触確認アプリ「COCOA」が、濃厚接触の判定精度の問題やアプリのバグに揺れている。2020年9月には精度や品質の課題を見つけ出すために新たにログ機能を追加する検討が始まった。

 一部の保健所では、アプリから濃厚接触の可能性ありと通知を受けた人から問い合わせが急増しているのに感染者の発見にあまり効果を上げていない。東京都北区の保健所はアプリから通知を受けた人にPCR検査で対応しているが、陽性率は0.2%と低い。

 通知を受けた人に1週間で400件の検査対応をした保健所もあり「通常の行政検査にも支障を来すほど負担になっている」(北区保健所の担当者)。

 判定精度の改善は一筋縄ではいかない。Bluetooth通信だけで接触距離を推定する動作原理上の難しさに加え、米アップルと米グーグルが開発したAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェース)の内部機能はブラックボックスのままだ。様々な要因が絡む。

 とは言えこの問題と、COCOAにバグが多く、改修に時間がかかる問題とは切り離して考える必要がある。バグの多さの背景には今の開発体制に至る複雑な経緯が関係しているからだ。