クラウドのシェアは米AWSの約30分の1にとどまり、新たな収益源と見込む「Watson」も期待ほど伸びていない。米IBMは、巨大ゆえに滅びた恐竜の命運をたどるのか。
米IBMは事業構造の転換に向け、大なたを振るっている。米アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)などライバルの台頭という環境変化を前提に戦略を刷新した。生き残りに向けてなりふり構わず進むが、残された時間は多くない。
IBMが環境の激変に適応しようともがいている。AWSや米グーグルが企業向けAI(人工知能)やクラウドの世界で急速に台頭。次の収益の柱と見込んだIBM Cloudは思うように売り上げを伸ばせず、苦戦している。長くIBMを支えたメインフレームなどの既存事業もITの構造変化からは逃れられない。
約36万人の従業員を抱える恐竜は「環境変化への適応力」を高めるために動き出した。約4兆円を投じる米レッドハットの買収はその象徴だ。自社サービスのIBM Cloudに固執せず、顧客が選んだ複数のクラウドをまとめて管理するマルチクラウド戦略を鮮明にした。
日本IBMにも変化の兆しが見え始めている。「失敗も含め、IBMはAIの商用化で最も経験を積んできた」。日本IBMの吉崎敏文執行役員はこう力を込める。
同社は2015年2月にソフトバンクテレコム(現ソフトバンク)と提携し、日本でのWatsonの共同展開で合意。1年後、満を持して日本語版の提供に乗り出した。
だが、両社は顧客の開拓に手間取った。顧客開拓でうまくすみ分けできず、当初期待したほど顧客が増えなかった。Watson導入にいち早く動き出した企業も「学習データの加工・入力という地道な作業が続いた」(ソフトバンクの重政信和AI・ロボティクス事業推進部長)ため、なかなか成果が現れなかった。
Watsonのパートナーは100社に
グーグルなど外資系IT大手のほか、国内IT大手やスタートアップ企業がこぞってAI事業に注力し、「AIの民主化」と称するコモディティ化が進行している。こうした環境の変化を前提に、日本IBMは1年ほど前から段階的にWatsonの販売戦略を転換してきた。
まず2017年9月、Watsonの販売や導入を担うパートナーを一気に広げた。従来は日本IBMとソフトバンクなど一部の企業だけがWatsonを販売できる仕組みだった。これを改め、日本IBMのパートナーにも開放した。今ではパートナー数はJBCCやアビームコンサルティングなど延べ100社まで増えた。
さらに2017年10月、Watsonを使ったサービスを一覧としてまとめた「AI in a Box」を投入した。どんな業務に使えるのかを明確にして期待と現実のギャップを埋めると共に、価格が不透明との批判を払拭する狙いだ。
最新版のカタログは60種類弱のサービスを取りそろえている。例えばソフトバンクが提供し、Watson関連のAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェース)の機能や使い勝手を学べる「AIスターターパック(スターター編)」の価格は81万5000円からといった具合だ。製造業向けにはAPIの1つである「IBM Watson Visual Recognition」を使って製品などの検品作業を支援するサービスを用意した。
1カ月後の2017年11月には無償の「IBM Cloudライト・アカウント」の提供も始めた。アプリを10日間開発しないとアカウントを自動停止するといった縛りがあるものの、WatsonなどのAPIが期間を問わず無料で使える。吉崎氏は「個人やスタートアップが試作版を開発したり、ハッカソンを開いたりする際に有効だ」と狙いを話す。
さらに日本IBMは2018年11月に、首都圏のデータセンターでWatsonのAPIを動かせるようにした。これでWatsonを使う企業が海外のデータセンターとデータをやり取りしなくて済むようになる。
日本IBMの三澤智光取締役専務執行役員は「データ処理の遅延を減らせるほか、データ保護に関する安心感も増す」と強調する。将来的にはAmazon Web Services(AWS)などでWatsonのAPIを動かせる仕組みも検討しているようだ。
利用企業は1年で7倍に
矢継ぎ早の施策が奏功し、Watsonの利用企業は足元で伸びてきた。2018年春時点でWatsonを使う企業の数はPoC(概念実証)を含めて1年前と比べて7倍に伸びたという。ソフトバンクだけに限っても、直近の利用企業数は30倍以上に増えた。同社の重政氏は「企業が部門単位で導入したり、1社で複数部門が採用したりする動きが広がってきた」と説明する。
三井住友海上火災保険も複数の部門でWatsonを活用する1社だ。2014年夏に顧客向けコールセンターに非構造化データの分析ツール「Watson Explorer」を導入したのを皮切りに、代理店向け照会応答システムにも適用業務を広げてきた。
実績も出ている。顧客向けコールセンターはWatson導入前後でオペレーター1人が1時間に取れる電話の件数が4.6件から4.8件に伸びた。数字だけでみれば小さな変化だが、全体でみるとオペレーターを10人増やす効果を得た。代理店など向けの照会応答システムは2018年4月にWatsonを全代理店に広げ、今では2万店以上が使う。1日当たりの利用件数も1万件を超えた。