全13253文字
PR

 「光衛星通信において、米国で壮大なフィージビリティースタディー(実現可能性の調査・検討)が始まった。最初のアプリケーションは安全保障だが、かつてのGPS(全地球測位システム)と同様、新たな市場を創造するための動きとみている」

 NECで約30年間、宇宙事業に携わってきた航空宇宙・防衛ソリューション事業部門 主席スペースICTエバンジェリストの三好弘晃氏は、人工衛星同士や衛星と地上間などを光で通信する光衛星通信が、本格的な実用化に向けて大きな節目を迎えていると話す。

 この実証実験の主役は、米国防総省(DOD)が2019年3月に設立した宇宙開発局(SDA:Space Development Agency)である。DODは数百機以上の小型衛星が一体となってさまざまな機能を担う衛星コンステレーションによる「NDSA(National Defense Space Architecture:国家防衛宇宙体系)」構想を進めており、SDAはこうした宇宙関連プロジェクトを指揮する。

 NDSAは7つの層に分かれているが、最も実用化を早く進めるのが「Transport Layer(トランスポートレイヤー)」と呼ばれるデータの運搬層である。広帯域・低遅延の光衛星通信の利用を前提にした、300~500機の低軌道衛星によるコンステレーションで構成する。

 その大きな目的が、ロシアによるウクライナ侵攻で実戦において初めて使われたとされる極超音速ミサイルなど、極超音速兵器の探知・追尾だ。このミサイルは、放物線を描くこれまでの弾道ミサイルと異なり、低空を超高速かつ変則的な軌道で飛ぶ。弾道ミサイルの場合、発射を検知する高度3万6000kmの静止軌道にある早期警戒衛星で、発射地点と初速、方向を探知できれば着弾点が計算できた。しかし、新型ミサイルの場合は、距離が遠い静止軌道からでは、その軌道を正確に捉えることは難しい。そこで高度750~1200km付近の低軌道を周回する衛星コンステレーションで極超音速ミサイルを探知・追尾し、即座に情報を地上に送ることを目指す(図1)。その際、衛星同士の通信に必須とされているのが、現在使われている電波と比べ桁違いに高速なGbps(ギガビット/秒)級が可能な光衛星通信である。

図1 衛星コンステレーションで極超音速ミサイルを探知・追尾
図1 衛星コンステレーションで極超音速ミサイルを探知・追尾
SDAのTransport Layerの概略。衛星コンステレーションで極超音速ミサイルを探知・追尾し、即座に情報を地上に送ることを目指す(出所:総務省「Beyond 5G の実現に向けた宇宙ネットワークに関する技術戦略について」より)
[画像のクリックで拡大表示]

 SDAは22年2月末、Transport Layerの独自標準「Tranche(トランシェ) 1」に準拠した衛星の開発について、米Northrop Grumman(ノースロップ・グラマン)や米Lockheed Martin(ロッキード・マーチン)など3社に発注した。2000億円超の予算をつけて実証を重ね、標準仕様を調整していくという。これらの企業に対して光衛星通信の端末開発で世界をリードする企業が供給する。例えば、2021年に米NASDAQ市場への上場を果たしたドイツMynaric(マイナリック)がノースロップ・グラマンにTranche 1準拠のターミナルを提供するほか、ドイツTesat-Spacecom(テサット・スペースコム)はロッキード・マーチンと契約している(図2表1)。

図2 Mynaricが開発したSDA規格準拠の端末
図2 Mynaricが開発したSDA規格準拠の端末
SDAのTranche 1に準拠した光衛星通信端末「CONDOR Mk3」。通信速度は2.5Gbps。光アンテナの口径(右の写真で黒い丸の部分)は80mm(写真:Mynaric)
[画像のクリックで拡大表示]
表1 Mynaricの端末「CONDOR Mk3」の仕様
(出所:Mynaric)
端末の名称 CONDOR Mk3
通信距離 1万km以上
通信速度 2.5Gbps(SDA T1準拠、10Gbpsと100Gbps仕様もあり)
波長 1.55µm帯
光アンテナ口径 80mm
送信出力 3W
寸法 高さ343.5mm×幅 210mm ×奥行き 170mm

 これまで光衛星通信では、日米欧の宇宙機関によって1µm帯や1.55µm帯のレーザー波長で実験が行われてきたが、SDAは地上の光通信で一般的に使われている1.55µm帯を標準に据えた。地上の光通信で使われている部品を転用できる可能性があるからだ。そして、Tranche 1では2.5Gbps、できれば10Gbpsの通信速度の実現を目指す。これは衛星の電波通信の10~100倍の速度である。

 光衛星通信において互換性を担保するための標準はまだ固まっていないが、SDAのTranche 1標準が有力候補になる。「Tranche 1のインパクトは、これまでどうなるか見えなかった部分が決まったことにある。例えば、3年ぐらい前までどの波長が標準になるのか読めなかったが、SDAが1.55µm帯を採用したことで、これがデファクトスタンダード(事実上の標準)になるだろう」とワープスペース(茨城県つくば市)取締役CTO(最高技術責任者)の永田晃大氏はみる。ワープスペースは、低軌道の衛星と光通信をする中継衛星を高度2000km強の地球中軌道に配備し、そこから電波で地上にデータを下すサービスを開発する日本のベンチャーである。

 SDAのこの“壮大な実験”を、世界の光衛星通信の関係者が注視している。巨額の予算を民間企業に投下することに加え、これまで宇宙機関が行ってきた1対1の通信実験と異なり、衛星コンステレーションのシステムとして実際に機能するかが初めて検証されるからだ。「米国は実用化に本気になっている」と衛星開発ベンチャー、アクセルスペース(東京・中央) 取締役CSO(最高戦略責任者)の太田祥宏氏は言う。

電波はもう満杯

 「かつての5G(第5世代移動通信システム)のように、最近では実装が数年以内に実現する確度が高まっていることもあり、宇宙業界の誰もが光衛星通信に注目するようになってきた。実際に多くの資金がこの分野に流入している」

 2022年3~4月に米国で開催された「Satellite 2022」や「Space Symposium」など宇宙業界の主要展示会に参加した、ワープスペースCSO(最高戦略責任者)の森裕和氏は、米国での光衛星通信に対する大きな熱気を感じたという(図3)。

図3 米国で開催された「Satellite 2022」の様子
図3 米国で開催された「Satellite 2022」の様子
22年3月21~24日にワシントンD.C.で開催された。写真は同展示会に参加したワープスペースの森氏が、SDAの局長らとともにパネルディスカッションに登壇したときの様子。本展示会におけるパネルセッションの中で一番注目度が高く、実際に入場のために行列ができたという(写真:ワープスペース)
[画像のクリックで拡大表示]