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放射性物質を放出した福島第1原子力発電所〔1F(イチエフ)〕1・2号機排気筒。原発事故の象徴的存在だったが、2020年5月に上半分が撤去された。その撤去工事を担った地元企業エイブル(福島県大熊町)を率いる。原子力発電所を支える優秀な下請け企業だった同社が、大手をコンペで退ける元請け企業になぜ変貌できたのか。そこには原発事故で大きく運命を変えた故郷への思いがある。(聞き手・構成はノンフィクション作家 山根一眞)

写真:村上昭浩
写真:村上昭浩
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 東京電力福島第1、第2原子力発電所で定期点検や配管工事などを担う東京電力の下請け工事会社。それが10年前までの当社の立ち位置でした。東京電力系列の保守会社で働く技術者だった私が当社の前身となるエイブル設備を創業したのは30年前の1992年。電力プラントを中心に幅広い仕事を手掛けていますが、事故前は原発関連のメンテナンス事業が主力になっていました。

 主な仕事は原発の定期点検に必要な配管のチェックや交換などで、指定された仕事を指定された方法に従って実施していました。厳密さと正確さが必要で難しい仕事ではありますが、長年積んできた経験には自信がありました。その一方で、毎回の定期点検の仕事は安定しており、大きな変化がなかったのも事実です。

 それが「3.11」、2011年3月11日の東日本大震災とその後の福島第1原発事故で一変しました。今手掛けている廃炉関連の工事は経験者が誰もいない仕事です。発注者から技術や方法はほとんど指定されません。高線量の現場で従業員の安全を確保しながらいかにして課題を解決するかが突きつけられます。与えられた方法、技術に頼るのではなく、自分たちの技術力を基に独自の問題解決策を提案して仕事を受注するようになりました。

 それは、下請け企業からの脱却、自立した企業への転換を意味しています。事故から10年。事業変革に取り組み続けて今回受注し、無事完遂できた1・2号機排気筒の解体・撤去工事は、当社にとっても1つの節目となりました。

大手企業に伍してコンペを勝ち抜く

 巨大津波の襲来を受けた1Fは原子力プラントが危機的な状況に陥り、苦渋の決断として1号機の高圧蒸気を排出する「ベント」を行い、排気筒から大気中に放射性物質を大量放出しました。それによる放射能汚染の拡大は地域を苦しめる結果になりました。1Fの正面ゲートの西約1kmに立地するエイブルの大熊町の本社も汚染され、事業の継続が困難となりました。そこで双葉郡広野町の事業所に本社機能を移し、現在は工場もこちらが拠点となっています。

 震災から5年を経た2016年、東京電力にエイブルが独自のアイデアで提案し、受注した最初の難作業が1・2号機の排気筒の足元にあるドレンサンプピットの補修工事です。高さ120mの排気筒に降った雨水をためておく設備で、サイズは1m3と小さいのですが、周辺はベントの影響で格段に線量が高い。人が近づいての作業ができない場所でした。