黙って現場で見ていた新部長
肌附氏—私の上司だった生産技術部門の新部長の事例があります。田原工場が新設されたばかりの頃、従来にない設備や機械を導入して最新鋭の生産ラインを造ろうという案が持ち上がりました。私たち現場にいた生産技術者は前向きなプロジェクトに盛り上がった半面、実績のない最新技術をふんだんに使うため、「本当にうまくいくのか?」と工場長がとても心配する案件でもありました。
ちょうどその頃、次長が新部長に昇格しました。この新部長の言動が、後に私にとって心のマネジメントの手本となりました。
この新部長は、まだ次長だった時から部下の方を向いていました。当時、私たちは技術開発のために、新しい試験用設備が欲しいと考えていました。しかし、価格は当時で1億円もしたため、当時の部長は首を縦に振ってくれません。そこで、私が次長に話を持ち掛けたところ、「1週間待ってくれ」と言って足早に去って行きました。
体よく逃げられたなと思っていた私は、1週間後に次長から承認印が押された稟議書を見せられて驚きました。実はその時、部長は1カ月間の欧州出張に出掛けていて不在で、次長が部長代理を務めていました。その機会を待って、次長は会社の上層部に掛け合ったというのです。「トヨタの旗艦車を生産する田原工場には、それにふさわしい最新鋭の生産ラインが必要です。うちの優秀な部下たちなら、きっと造れます。そのためには、この試験用設備がどうしても必要なのです」と。こうして、新設備の導入の費用を用立ててくれました。
生産ラインの開発には3年ほどかかりました。その間、新部長はしょっちゅう開発現場に来ていました。他の予定があると、「次の試験はいつですか」と聞いて、その時間にやってくるといった具合です。しかし、少し離れた所から黙って私たちの試験を見ているだけで、せかしたり小言を言ったりするようなことは一度もありませんでした。会議で試験の結果や開発の進捗状況などを部下が発表しても、新部長は口を出しません。代わりに、「何か足りないものや困っていることがあったら言ってください。私がみんながやりやすいようにします」とだけ言って帰っていくのでした。
実際、人も物も資金も私たちがほぼ望む通りに用意してくれました。そして、それ以上に私たちが感じたのは、「この新部長は私たちの仕事に関心を持ってくれている上に、信頼してくれている」ということです。黙って見守って任せるというのは、最高の信頼の証しです。だからこそ、私たちも難しいとさんざん言われた最新鋭の生産ラインをなんとか完成にこぎ着けられたのだと思っています。