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TRON関連の組み込み技術者として知られてきた邑中雅樹氏。宇宙関連の開発経験も持ち、現在は活躍のフィールドを仮想通貨に移している。組み込み技術者になった経緯や自社の倒産、復活の経験などを聞いた。

(聞き手=大森 敏行)

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ブロックチェーン関連の開発に取り組んでいらっしゃいます。

 私はもともと組み込み系のソフトウエア開発を得意としていますが、現在の仕事はブロックチェーンや仮想通貨がメインです。もなみ屋という自分の会社を持ち、HashHubという仮想通貨系のコミュニティスペースの手伝いもしています。仕事以外でオープンソース系のブロックチェーンの開発にも関わっています。

 私はHashHubで、ライトニングネットワークというプロトコルに関する開発を行っています。ビットコインはトランザクション性能があまりよくないため、多くの取引をさばくことができません。そこで、メインのチェーンの横でユーザー間の少額のやり取りをする技術がライトニングネットワークです。

 現在はまだPoC(概念実証)の段階ですが、開発したものは最終的にはオープンソースにする予定です。

これまで宇宙関連の開発など、組み込み系を中心に様々な分野に取り組んでこられたそうですね。

 エンジニアとしてのキャリアの最初は、大学生のときの宇宙科学研究所(宇宙研、ISAS)でのアルバイトでした。まだ宇宙航空研究開発機構(JAXA)ができる前で、今でいうJAXA相模原です。

 アルバイト先は重力波観測装置の基礎研究をしていた河島信樹先生のところで、私は観測装置の信号を集めてくるデータ収集系のシステムに関わっていました。観測点は組み込み系のリアルタイムOSが動いている小さなノードです。ネットワークと組み込みの両方が分からないとできない仕事でした。UNIXワークステーションの知識も必要でした。

  このアルバイトと並行して「MINIX」というLinuxの基になったOSに出会いました。この頃からオープンソース的な活動に関わるようになりました。大学に行くよりも圧倒的に楽しかった。

 大学卒業後は派遣が中心のシステム開発会社に入り、受託開発を手掛けていました。その会社を辞めて転職したのが、TRON系のベンチャー企業です。当時私は、PC 向けTRONであるBTRONのオープンソース版「B-Free」の開発に参加していました。その関係で、BTRONを使ってインターネット接続のセットトップボックス(STB)を作ろうとしていたベンチャーに入りました。

 いろいろな事情があって、この会社は2年でクローズしました。この頃、IPA(情報処理振興事業協会、現在の情報処理推進機構)が2000年に始めた未踏ソフトウェア創造事業(以下、未踏)に関わりました。当時未踏は、会社が事務方として後ろにつく形でした。所属していた会社がクローズしたため、仕方がないので自分で会社を作ることにしました。

 2000年10月に「もなみソフトウェア」を登記しました。いつかは独立したいとは思っていましたが、まさかこのタイミングだとは思いませんでした。未踏では、組み込み向けの分散オブジェクトソフトウエアの開発を2年くらい手掛けていました。