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 新潟県三条市で開催中の展覧会「Tsubame-Sanjo Factory Museum」(2021年11月5~21日)では、燕三条地域で造られてきた製品や器具を映像と組み合わせて展示し、産地の成り立ちや技術を紹介している(図1)。和釘(わくぎ)から始まり、農具や大工道具、一般・業務用刃物、洋食器などに品目を増やしながら技術を発展させてきた過程が分かるようになっている。

(出所:松田千穂)
図1 「Tsubame-Sanjo Factory Museum」の展示風景
野水機械製作所(三条市)の工場だった建物で開催されている。
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 同地域における金属加工業の“原点”は、和釘だ(図2)。信濃川とその支流である五十嵐川が合流する場所に位置する三条は、洪水の影響で農作物が育たず、江戸時代初期に副業として和釘を造るようになったとされる。背景には、北前船によって中国地方からもたらされた鉄が信濃川を通じて運ばれ、市内の下田地区から炭が供給された地理的な条件がある。

図2 和釘
図2 和釘
「あらゆる製品の製造技術は、和釘の応用であるといっても過言ではない」(「Tsubame-Sanjo Factory Museum」実行委員会)が、現在、燕三条地域の和釘専門の鍛治職人は1人のみ。(出所:松田千穂)
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 やがて越後地方で新田開発が活発になると、開墾用の農具の製造に発展し、さらに、大工道具や各種刃物へと分野を広げていく(図3、4)。ここで重要な役割を果たしたのが、三条の金物商人。明治時代の初期、彼らが全国へ燕三条の製品を届けると同時に各地のニーズを持ち帰り、それに合わせて新たな技術を開発することで、製造品目を増やしていったという。

図3 鋸(のこぎり)と鑢(やすり)
図3 鋸(のこぎり)と鑢(やすり)
会津地方から鋸の製法が伝わったのは1661年。その目立て用具として鑢の製造も始まり、1900年頃には、全国の鋸・鑢の生産の8割を燕三条地域が担うまでに成長した。(出所:松田千穂)
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図4 鉈(なた)
図4 鉈(なた)
大工道具の生産量は減少したものの、海外からの注文が増えつつある。日野浦刃物工房(三条市)の鉈「司作」「味方屋作」はアウトドア愛好家や林業関係者から支持を集める。(出所:松田千穂)
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