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 だったら「すべての善は偽善である」といったん認めておいて、しかしながら、その行為の主体である個人や企業、あるいは政治家でも自らが存在しなかったらそもそも何もできないわけだから、たとえ「自分のため」ということが根っこにあったとしても、結局はその偽善こそが善であるということでいいじゃないか、ということです。

 「他人のため」ということと「自分のため」ということ、いわゆる「善」と「偽善」ということは、まるでメビウスの輪のように両方が表裏一体のように絡み合い、どちらかの側面が強く打ち出されていることはあるものの、根っこを考えていくとなかなか切り離しては考えられないというイメージでしょうか。

「自立と覚悟」の度合いが影響

 そんな事を考えていた時、「日経ビジネスアソシエ」の10月6日号で、華道家の前野博紀氏がとてもうまい言い方をしていることを発見しました。それは、人間は「他人の役に立つ」という前に、まず「自分が自分の役回りとして自立する、自分の役で立つ覚悟が必要である」ということです。「役に立つ」前に、「役で立つ」必要があると言えます。

 例えば、営業マンなら、まず「人生の舞台で営業マンという役で自立すること」が大前提。その覚悟がしっかりあれば、自ずと売る商品についてあらゆる角度から勉強し、商品への愛着が強まり、世の中に広めたいと思うはずです。そういう役回りでしっかり自立している営業マンの姿を見れば、お客さんも「この営業マンから買いたい」という気持ちになり、結果としてお客さんの役にも立てるわけです。逆にそうでなかったら、いくら営業マンが「あなたのお役に立ちたい」と口で言っても、見透かされてしまうでしょう。

 企業であれば、企業理念や経営方針を通じて社会の中での役回りをしっかり定めたうえで利益を上げれば、自ずと社会へ還元したり、ステークホルダー(利害関係者)の役に立ったりするのでしょう。そう考えると、メビウスの輪の中で偽善的な感じが強く見える時は、その主体が自らの役回りでちゃんと自立できていない状態で、善のイメージが強く出ている時は、自分の役としての覚悟と自立がある程度できている状態なのかもしれません。

 鳩山新政権は「二酸化炭素の排出量を1990年比で25%削減する」という国際公約に加え、外交の基本方針として、米国との対等な関係の構築や東アジア共同体構想を打ち出しています。こうした事が偽善のように受け取られないためには、まず日本が世界の中でどういう役回りをするのかという立ち位置を定め、国家としてしっかり自立できるように振る舞う覚悟が必要だと思います。