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学べるのは学校だけか

 「もっと学びたい」という大学生と立て続けに会いました。

●英語力を高めるため、卒業後にアメリカに1年留学したい
 「親も賛成してくれていて、奨学金を借りていけ、と言っている」と言います。「お金を出してくれないということは、親は反対なのだね、学士も取れない1年の留学する前に、夏休みのホームステイに行ってみたら。それなら、親はお金を出してくれると思うけど」と言ったら、目を見開いて唖然としていました。

●デザイン系大学を卒業してから美術の専門学校
 「社会に出るにはまだ学びが足りない」と言うので、「専門学校に行ったらもう一度鉛筆の持ち方から教わるのだよ。それなら大学院に行けば?」と言ったら、「そこまで本格的に勉強したくはない・・・」としり込みしてしまいました。

 彼らが戸惑い、ひいてしまった理由は、向日葵さんの回答が、彼らが期待するものとかけ離れていたからです。もっと学びたいという向学心を口にすれば、たいていの大人は無条件で激励してくれるのに、向日葵さんは、今できる勉強の方法や、もっと高度な知識習得を提案しました。それは、彼らにとって、「猶予」にならない不都合な挑戦志向だったのです。

 自分を半人前として認識し、社会における役割を果たさない状態に積極的にとどまろうとする若者が「モラトリアム人間」(小此木啓吾、1981年)と呼ばれるようになった頃、今の大学生が生まれました。この20年で「モラトリアム」はさらに進化してしまったような気がしてなりません。「若い頃は少しくらいまわり道してもきっといい経験になる」なんて言う大人もいますが、それを受け入れてくれる社会でないことをよく知っているくせに、理想として、あるいは、自分のかなわぬ願望として、猶予を推奨するのは無責任です。「何でも欲すれば叶えてもらえるわけではない」と、学生にとって不都合なことも時には、心を鬼にして言わなければなりません。それがキャリアと就職活動を教える向日葵さんの役割でもあります。

ダブル学士、卒業時26歳の女子学生

 食物系大学の3年生というIさんが「就職活動の戦略を練りたい」と相談にやってきました。成績も優秀で、大学の委員も積極的に勤めるIさんですが、その振る舞いというか、化粧というか、どことなく大人びたものがありました。そんな私の視線を感じたのか、Iさんが本題に入りました。

 「私、文系大学を卒業した後、食物の勉強がしたくて、今の大学に入学し直しました。就職活動は大丈夫でしょうか」

 卒業して入社する時は、26歳ですね。

 26歳の新卒女子新入社員・・・民間企業は難しいかもしれません。

 というと、Iさんは、自分の表情がたじろぐのを必死に抑えるように、「はい」とだけ口にしました。学びたいものを学ぶという姿勢は十分評価に値しますが、就職活動となると「すごいね」「頑張ったね」と手放しで褒めるわけにいきません。Iさんも頭ではわかっていたことでしたが、明確に口にされたことで“22歳”と“26歳”の響きの違いに、耳が気づいたのです。