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と考えたら、Aさん、今の大学で取得できる科目で教員を目指すにしても、教育学部への編入をして、自分の取得したい教員免許を取得するにしても、教職教養は共通で単位交換されることが多いから、履修しておいたほうがいいよね。つまり、燃え尽きている場合じゃないんじゃない?

あらゆる可能性を探さない理由

編入の仕組みを話している間にも、Aさんの表情が好転することはありませんでした。教員になるための方法と難度を見た瞬間に、教師になりたい気持ちがしぼんでしまったかのようです。

「いや・・・あの・・・その・・・

どうしても教員になりたいってわけじゃなくて・・・」

そうじゃないの?

「はい、大学が上手く選べなくて・・・

選べないでいたら・・・

親が『教員がいいんじゃない?』ってなって・・・

『じゃあ、教員がいいかなっ』って言ったら・・・

なんか親がすごく喜んだんで・・・」

それで教育学部を受験したんだ。

もしかして、やっぱり教員になりたいって言って元気がない感じなのもそのせい?

「ええ・・あんまりきっぱりあきらめちゃったら、なんか、親に悪いような気がして・・」

Aさんにしてみれば、国立大学の教育学部に落ちた段階で、教員にならずに済むと思ったのでしょう。だから、目の前の教職教養の勉強を頑張ることも、編入の道も、教員免許を取得して通信教員で免許の種類を広げる道も、全く視野に入れていなかったのです。

ただ、Aさんにとっては「教員をあきらめきれない」と口にすることが、大学受験を失敗してしまったことへの懺悔であり、教員になることを期待してくれた親へのせめてもの孝行だったのかも知れません。そんな時にひまわりさんが、編入試験の可能性なんて話を持って、登場してしまったものだから、本人の動揺は相当のものがあったのでしょう。

進路選びにおけるプライドの存在

a:現実を知っていて○○になりたい

b:現実を知らず○○になってもいい

の差は大きいものがあります。先ほどのAさんは親の顔色を見て、bの選択をしていました。経験上、○○の中に当てはまるのは、教員と公務員が多いような気がします。学生の仕事選びにおける安定志向の高まりと共に、仕事の現実を理解せずに、「僕はこういう仕事をしています」と言った時の響きで仕事を選ぶ学生が増えているような気がしてなりません。その証拠にというか、教員採用試験の倍率の高さや、公務員の仕事は数年ごとに変わり仕事の種類も難度も変わる、という話をすると、青ざめてしまう学生は少なくないのです。