『ガリヴァ旅行記』を知らない人はいないだろう。船乗りのガリヴァが小人の国や巨人の国を訪問する話を、子供の頃、絵本で読んだ人は多いはずだ。ただ、もともと大人向きに書かれた全四編を通読した人はあまり多くないかもしれない。ましてや、人間への罵倒で埋め尽くされた同書の中に、技術者への礼賛が含まれていたことを知る人はほとんどいないのではないか。
ガリヴァ旅行記を通読した方なら、「技術者礼賛」という言葉に首をかしげたに違いない。礼賛どころか、同書の中には科学技術を嘲笑う逸話がたくさん登場するからだ。特に、空飛ぶ島ラピュタと、ラピュタの国王が支配する大陸バルニバービをガリヴァが訪問する第三編に、そうした逸話が多い。科学技術および科学技術への過度の期待がバルニバービの人心と山河をどれほど荒廃させたか、作者ジョナサン・スウィフトは延々と描写している。
学士院では、教授たちは農業や建築の新様式だとか、あらゆる商工業に用いる新式用具の考案に没頭している。しかも彼らに言わせると、これらを採用すれば、従来十人の仕事がたった一人で出来るのであり、(中略)その他数知れない結構なことばかりなのである。ただひとつ困ったことは、これらの計画がまだ今のところどれ一つとして完成していないということだ、だからそれまでは国内いたるところ惨憺たる荒廃状態で、家は破れる、人民は衣食に事を欠く (中野好夫訳、新潮文庫)
ガリヴァは、バルニバービの学士院を訪問し、様々な研究に従事している「企画士」達に会う。企画士が取り組んでいる研究内容の説明に、スウィフトは一章を割いている。研究内容をざっと挙げておく。「胡瓜から日光を抽出する計画」「人類の排泄物をふたたび原食物に還元」「氷を焼いて火薬にする」「最初に屋根をつくり、それから漸次下って最後に土台に至る新建築法」、「豚を使って土地を耕す方法」「羊に毛が生えないようにする合成物」といった具合である。
かつては「世にも美しい田園」ばかりであったバルニバービを「穂一本、草一葉も目にはいらない」状態にしてしまった、飛ぶ島ラピュタの幹部達は頭がよく常に数学のことを考えている。ただし、彼らが住む家を見ると「壁は歪み、どの室をみても直角になった隅というものは一つもない。これは彼らが応用幾何学というものを頭から軽蔑するところから来たもので、彼らは応用幾何学などといえば、そんなものは賤しい職人の業だと軽蔑する」。この一文や学士院の描写は、ニュートンを筆頭とする当時の数学者(科学者)達および大英帝国学士院に対する、スウィフトの皮肉であるという。
ガリヴァ旅行記が科学技術批判の書に見える理由として、数学者への批判に加えて、戦争や兵器に関する描写が挙げられる。スウィフトは人間がいかに戦争好きな生き物であるかを繰り返し書き、科学技術の到達点の一つと言える兵器について、ガリヴァ以外の登場者から激しく批判させている。例えばこんな下りがある。第二編、ブロブディンナグ(大人国)渡航記において、ガリヴァはブロブディンナグの国王に火薬と大砲について説明し、王のために作って差し上げてもよい、と進言する。大砲の効能を聞いた国王の反応を、ガリヴァは「狭量短見の生んだ奇妙な結果」と評している。
王はこの恐るべき機械の説明と、我輩のこの献言に対してすっかり仰天してしまわれた。よくも其方のような無力、地を匍う虫の如き存在が、かかる鬼畜の如き考を抱き、あまつさえその凄惨流血の光景にも、まるで平然として心も動かさないかのような洒々たる態度でいられるものだ、といまさらのように驚かれた。(中略)かかる機械の発明こそは人類の敵である。なにか悪魔の所行に相違ない。王御自身としても、なるほど技術並びに自然に関する諸種の新発見は、おそらく最も喜びとされるところではあったが、この秘密ばかりはたとえ王国の半ばを失っても知りたくはない、従って我輩にも、もし生命が惜しければ二度と口外しては相成らんと厳い御命令であった
1667年生まれのスウィフトは今からざっと300年前の人であり、1642年生まれのニュートンと同じ時代に生きた。スウィフトは強い正義感を持つとともに、かなりの野心家であったが、政治の世界では成功できず、徐々に精神を病み、最後は痴呆状態となって生涯を終えた。スウィフトによれば、人間とは「地球上をのたくり廻っている最も恐るべき、また最も忌わしい害虫の一種」(ブロブディンナグ国王の発言より)である。ガリヴァ旅行記は全編、害虫の害虫たる所以を描写する文章で埋め尽くされている。同書は「1715年頃から書きはじめられ、沸き返る怒りと嫌悪と忿懣と憂悶との中で醗酵させられながら、1726年10月に、ついにその誕生を見た」(訳者中野好夫氏の解説より)。
誕生から280年が経過したガリヴァ旅行記は今なお毒を放ち、「沸き返る怒りと嫌悪と忿懣と憂悶」を読者に感じさせるが、その中から「技術と技術者に対する礼賛」を読みとった人がいる。昨年亡くなった社会生態学者のピーター・ドラッカーである。同氏は「近代を生み出したものは何か」という論文の中で、次のように述べる。
一葉の草しか育たなかったところに二葉の草を育てる者こそ、人類の福祉に真に貢献するものであるとするジョナサン・スウィフトの有名な人間礼賛が、実は科学者への礼賛ではないことを知る者は少ない。それどころか、彼の言葉は科学者、特に権威ある大英帝国学士院への辛辣な一撃だった。それは、理解のための自然探求というニュートン科学の傲慢な不毛に対立する、技術の健全さと恩恵に対する礼賛だった
同論文は1961年、『技術と文化』誌に発表され、昨年出版された『テクノロジストの条件』(上田惇生訳、ダイヤモンド社)の中に収められている。テクノロジストの条件は、「マネジメントを学ぶべき技術者」と「技術を知るべきマネジャ」のために編集された一冊である。テクノロジストとは「体系的な知識を使う技能者」を指す。詳細についてはドラッカーの本を読んでいただきたいが、Tech-On!読者の方々であれば全員がテクノロジストと思っていただいてさしつかえない。テクノロジストの条件を読んでいたところ、スウィフトに言及した上記の一文にぶつかったので、該当箇所を探そうとガリヴァ旅行記を読み直してみた。これが本コラムの執筆に至った経緯である。
ドラッカーの「近代を生み出したものは何か」は次の一文で始まる。「この200年の人間社会の爆発的な変化は何によってもたらされたか、との問いに対する通常の答えは、科学の進歩である。本稿はこれに異を唱える。正しい答えは、技術の体系化である」。続けてドラッカー氏は、科学と技術は別物であると論じていく。
科学と技術の基本的な違いは、内容ではなく焦点にあった。科学は哲学の一分野であり、理解にかかわることだった。目的は知識の完成にあった。したがって、それを利用することは、プラトンの有名な主張にあるように、科学の乱用であり、科学の墜落だった。これに対し、技術は利用に焦点を合わせていた。目的は人間の能力向上にあった。科学は最も普遍的なものを対象とし、技術は最も具体的なものを対象とした。科学と技術の間にいかなる類似があったとしても、それは偶然にすぎなかった
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イラスト◎仲森智博 |
それでは、ガリヴァ旅行記にある該当箇所を紹介する。その一節は、第二編、ブロブディンナグ(大人国)渡航記の中にある。「技術並びに自然に関する諸種の新発見」を「最も喜び」とするブロブディンナグ国王はガリヴァに言う。
そして陛下個人の意見だと断って言われるには、これまで一穂の麦、一葉の草しか生えなかった土地に、二穂の麦、二葉の草が生えるように出来る人、そうした人間の方が、結局政治家などという存在を全部束にしたよりも遙かに人間として価値あるものであり、また国家にとって真の貢献をなすものであると
インターネットという「技術」はなかなか素晴らしく、ちょっと検索してみたところ、たちどころにガリヴァ旅行記の詳しい解説サイトを発見でき、そこから原文が公開されているサイトに到達できた。それでは、280年前に書かれた「技術の健全さと恩恵に対する礼賛」部分を引用する。
And, he gave it for his Opinion, that whoever could make two Ears of Corn, or two blades of Grass to grow upon a Spot of Ground where only one grew before, would deserve better of Mankind, and do more essential Service to his Country than the whole Race of Politicians put together.
なるほど、技術者、ドラッカーのいうテクノロジストは“essential Service”の担い手というわけである。この部分だけでは技術に言及しているのかどうか分かりにくいかもしれないが、すぐ後に次のようなガリヴァの独白がある。日本語訳と原文を並記する。
この国の学問というのは非常に不完全で、ただ倫理学、歴史学、詩学、数学の四つだけから成っている。もっともその範囲では非常に傑れていることを認めなければならない。ところがこのうち数学は、農事、その他機械的技術の改良といった、ぜんぜん実用目的のためだけに適用されているので、わが国などへ持って行けばほとんど評価に値しない虞がある
The Learning of this People is very defective, consisting only in Morality, History, Poetry, and Mathematicks, wherein they must be allowed to excel. But, the last of these is wholly applied to what may be useful in Life, to the Improvement of Agriculture and all mechanical Arts; so that among us it would be little esteemed.
なるほど、技術者は“useful in Life”な仕事の担い手というわけである。原文からお分かりのように、「技術」に当たる言葉は“art”である。ここで脱線するが、280年前にイギリスで書かれた文章が今日ほぼそのまま読めるというのは、考えてみると大変なことである。日本においては、そうはいかない。日英のこの相違は、極めて重大な問題であり、機会があれば別途書いてみたい。
本稿を書いた意図は、ドラッカーが指摘したスウィフトの「技術の健全さと恩恵に対する礼賛」を紹介することであった。目的は果たしたと思って読み直してみたところ、いくつか気が付いた点があったので補足する。
まず、ドラッカーが指摘する人間礼賛の意図がスウィフトにあったのかという点である。礼賛どころか全編人間への悪意の固まりというべきガリヴァ旅行記であるが、スウィフトは先のブロブディンナグ国王や第四編 フウイヌム国渡航記に登場する知性を持った馬(フウイヌム)の言葉を借り、理想とすべき生き方について再三触れている。訳者の中野氏は解説で次のように述べている。「結局究極に於いては人間の善意を求めぬいて裏切られた不幸な巡礼であったかもしれない。ただしそれは、かいなでの人道主義者の口にする単純な善意では決してなくて、およそ残酷な、醜い、そして我執に充ちた地獄の苦悩を通してなお滅却しなかった、すべて真剣な、生命がけの生活を生活した人にのみ瞥見を許される人間の善意であったに違いない」。
もう一点、ドラッカーが技術を評価し、科学を評価していないかのような印象を読者に与えたとしたら、それは筆者の表現力不足がもたらした誤りである。技術を実学とすれば、科学は虚学となるが、虚学には虚学の重要性がある。虚学であることを忘れて実学を蔑視する態度をとる科学者をスウィフトやドラッカーは批判した。もし、実学一辺倒で虚学を蔑視する技術者がいたとしたら、それもまた批判対象になるだろう。
なお、本稿は一つの題材を元に、数本のコラムを書く試みの一環である。今回は、『テクノロジストの条件』を読んで3本のコラムを書く予定であり、すでにNBonline(日経ビジネスオンライン)に1番目のコラムを公開した。本稿は2番目に当たり、近くITproにおいて3本目のコラムを掲載しようと思っている。
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