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「ものづくり」と「売りづくり」のベクトルも合ってない?

 「何をつくるか」を考える際にポイントになるのが,顧客のニーズを知って何をつくるかを決めるマーケティングです。この9月7~8日に開かれた「2006東京国際デジタル会議」の中のパネルディスカッションで,大手電機メーカーでグローバル戦略を立案する立場の方がマーケティングを「売りづくり」と呼び,日本はこれから,「ものづくり」偏重を改めて,「売りづくり」で頑張らないと,特に海外新興市場では勝てない,という指摘されていたのが印象的でした(これに関連した以前のコラム

 この「ものづくり(部門)」と「売りづくり(部門)」はベクトルを合わせて一緒に頑張らなければならないものですが,それがうまく行っていないところに,日本の製造業が抱える大きな課題があるようです。

 ここでちょっと発想を変えまして,「ものづくり」と「売りづくり」のベクトルが合っている事例を探してみましょう。そういう意識で見てみると,例えば中小加工メーカーなどは相当頑張っているように思います。

 先日,技術力が高いと評判のある中規模の加工メーカーの社長さんとお話しする機会がありました。この社長さんは「これからの加工業はhowからwhatに構造転換しなければならない」と強調していらっしゃいました。これまでの「howの加工」では,図面どおりに仕上げて,そのときの精度や速さという数値の向上が目標だったのに対し,「whatの加工」とは図面ができる前の段階から顧客と話し合って高い付加価値を持つ「機能」を創り出すことだそうです(これに関連した以前のコラム)。

 この社長さんのビジョンは社内に浸透しているだろうな,そしてこの方なら大きな組織でもまとめ上げていけるのだろうなと思わせる強い説得力がありました。それとともに思ったのは,巨大組織の社長やリーダーが,ビジョンを社内外の隅々まで行き渡らせることは本当に大変なのだろうなということです。微細化という大原則がビジョンに等しい状況だったDRAM全盛時代には,巨大組織であってもトップの説明はいらないくらいでしたが,それとは状況が異なる現在,組織が全員で共有できるビジョンをトップが示せるかどうかが,現場のベクトルをそろえる上でのカギになるということになります。

「能書き力」と「状況の見通しやすさ」

 私たちは最近ビジョンを示す能力を「能書き力」と言っていますが,ある読者の方から「小規模な組織ならば,その全体像が見通しやすい」という指摘がありまして,目からうろこが落ちる思いをしました。その方は,「大工の棟梁」という言葉を使っておりましたが,一人で全体の構造が見通せるような構造の場合には,「棟梁」の「能書き力」が発揮され,ものづくり力のベクトルがそろって,競争力が高まることになります。

 ところが規模が大規模化してくると,見通しが悪くなってきます。大規模なものでも自動車のようにハード中心でソフトがまだ附随的な場合には見通しやすいようですが,電機分野ではデジタル化にともなって,ハードとソフトの関係が極めて複雑になってきて見通すことが難しくなってきました。

 このように見通しがきかなくなってきた状況では,どのような組織能力が求められるのでしょうか。実は,欧米企業が産業革命時から培ってきた,ビジョンを作って提示する能力やシステム構築能力が重要になります。根底にあるのは「いかに働かないで儲けるか」であり,とにかく働いてもらうために様々なビジョンや「能書き」を作って説得してきた長年の「歴史」に学ばなければいけなくなるのです。

 この欧米企業のやり方は,日本でしたら必要ないような個人レベルまで事細かに明文化された「能書き」を必要とするので非効率なのですが,構造が複雑化してくると,相対的に弱みが強みに転化するということのようです。

「創造的対立」による能書き力を

 では,日本企業は,見通しが悪くなってきた状況の中で今後どのようにしていけばいいのでしょうか。「言うは易しだ」と怒られそうですが,現場のものづくり力を維持・発展する努力を怠らずに,一方で欧米流の「能書き力」を高めることです。その際の「能書き力」は個人レベルにまで細分化しなくても済む分,効率化が可能になります。

 「能書き力」を高める秘訣は,議論することに尽きます。互いの意見や事情をさらけ出して,対立や矛盾を明らかにして,共有できるビジョンを作っていく試みです。日本人にとっては慣れないことかもしれませんが,こうした「創造的対立」を通じて,先ほどの「ものづくり」と「売りづくり」,「ハード」と「ソフト」など一見異質の要素が複雑に入り組む状況の中で共有したビジョンが打ち立てられたときに,もう一度「ものづくり力のDNA」が力を持ってくるということではないか,と思っております。

 ということで,われわれメディアとしても,こうした「創造的対立」が日本でも当たり前におこなえるような場や雰囲気をつくっていきたいと思う次第であります。ご清聴ありがとうございました。