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 2007年3月28日付け日本経済新聞の「経済教室」欄で,東京大学教授の藤本隆宏氏が,「再考イノベーション」というシリーズの一つとして,「もの造り現場発の視点で」という論文を執筆している。同氏はまず,昨今盛んなイノベーション議論は,画期的な科学技術によって新産業を興そうとするものと,未来の素晴らしい生活を描いてそこから新技術を構想するものの両極の議論に分かれるという。しかしこれらはいずれも,科学技術や新企画の「孤島群」を生む死屍累々の状況になりがちだと見る。

 藤本氏は,そうした状況を打開するには,新しい知見によって生み出した新しい設計情報が,各製造工程や流通といったものづくりプロセスを通して顧客の購買行動につながる「流れ」を作ることが大切だと主張する。そしてその影の主役がその「流れ」を制御する「ものづくり現場」ではないかと言うのである。筆者も本コラムでイノベーションを達成する(=「死の谷」を越える)ための方策について何回か悩みながら書いてきたが(この問題を採り上げたコラム記事1同コラム記事2同コラム記事3),「死の谷」を超えるための重要な視点を同論文は提示していると思った。

「現場発イノベーション論」のための「開かれたものづくり」

 藤本氏は同論文の中で,「現場発イノベーション」のためには「開かれたものづくり」が重要であるとしてそのポイントを3点挙げている。(1)「開かれたものづくり」とは設計情報をものにつくりこんで顧客を満足させることであり,生産現場だけでなく,開発や販売部門も含まれる,(2)「設計情報の良い流れ」をつくるという基本は,製造業もサービス業も同じであり相互学習が重要である,(3)「開かれたものづくり」で必要とされる知識は,電子工学や機械工学といった「固有技術」だけではなく,アーキテクチャー知識(設計情報のつなぎ方)とものづくり組織能力(設計情報の上手な流し方)という2本柱から成る「汎用技術」である---の3点である。

 「イノベーション」には,プロダクト・イノベーションとプロセス・イノベーションの2種類があると言われるが,藤本氏の言う「現場発イノベーション」はこのうち,プロセス・イノベーションに近いもののようだ。ただし,重要な視点は,ある産業が培った「設計の良い流れ」を作り出す手法を他産業または新しい知識に基づく製品イノベーションを進める際にも活用したらどうか,と提唱している点ではないかと思う。

二つの「水槽」をつなぐ「パイプ」を「流用」する

 このことを前出のコラム記事2で紹介した水槽の比喩で考えてみよう。イノベーションとは,2つの水槽間に水位(差異)をつくったうえで,その間に水路を作って水流(利潤)を作り出すことである。プロダクト・イノベーションとは科学的な知識によって水位をかさ上げすること(差異を大きくすること)。また,プロセス・イノベーションは水路,つまりパイプのようなもの想像すると,パイプの中にある障害を掃除して取り除いたり,拡張工事をして水流を勢いよくスムーズにすることではないか,と思う。そして藤本氏は,こうしてつくった優れた「パイプ」を他産業や新たなプロダクト・イノベーションを進める際にも流用したらどうか,ということを言っていると思われる。

 ここで言う他産業とは,例えば,藤本氏の論文では規制や保護などで国際競争力を欠く一部のサービス業などの「競争不全産業」を指している。これらの「競争不全産業」に,自動車産業などの「競争貫徹産業」が培ってきたものづくりの現場力(パイプ)を適応することで,日本全体の経済発展と言う面からは大きな意味があるという趣旨である。

 では,むしろ「競争貫徹産業」が科学的知識を元にしたイノベーションをさらに起こしたいときには,この「ものづくりの現場力」はどう活かしたらよいのだろうか。一つは,科学的知識と既存のものづくりプロセスを組み合わせるという考え方があると思われる。

「90%の技能と10%の技術を組み合わせる」