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 本コラムの執筆陣のお一人である生島大嗣氏から原稿をいただき、それに対する意見を差し上げたことをキッカケに、結構本格的な議論がメールで交わされることになった。その分量を文字数でいえば、最初の原稿をはるかに凌駕するものになっただろう。それだけ真摯な姿勢で記事を作っているのだということをさりげなくアピールしたいという下心もないではないが、それより何より重要なテーマではあると思うので、その議論をまとめてみたいと思う。

 とにもかくにも、主題は「企業のDNA」ということであった。生島氏の指摘は、こうである。任天堂のWiiやDSの好調さが伝えられる一方で、ソニーの(正しくいえばソニー・コンピュータエンタテインメントの)プレイステーション3(PS3)は、どうも振るわないようだ。その原因は、企業のDNAにあるのではないか。すなわち、発祥から一貫して「エンターテインメント企業」である任天堂は、新しい玩具を世に出すことをミッションとしている。それを実現する手段としてエレクトロニクスを利用しWiiを作った。ところがソニーは、エレクトロニクスを何に応用するかという視点から出発している。 どうしても、得意のエレクトロニクスの土俵で戦うという習性から抜け切れない。その結果として、Cellにこだわり、ブルーレイディスクにこだわり、結局はハイテク過剰なゲーム機を作り上げてしまった。それが、ユーザーの要望に適わなかったのではないか。

 「技術や機能を高度に進化させ世に問うたが、人々が求めていたのはそれではなかった」。日本メーカーが陥りがちなワナである。エレクトロニクス・メーカーに在籍されていた生島氏も、こうした失敗をいくつも目の当たりにしてこられたのだと思う。そして、何度も同じ落とし穴にはまってしまう理由を「企業のDNA」に求めた。企業風土、あるいは企業文化と言う場合もあるだろうが、要は「自分は何者であるか」ということである。そのことが企業戦略を考える際の縛りとなり、さらには企業行動を大きく左右する要因になるというわけだ。

 折々に指摘されることではある。今は昔、サントリーがビール事業に相応の投資をしながら、なかなか成功できないという時期があった。そのころよく言われたのが、彼らはビール・メーカーではなくウイスキー・メーカーだから、という意見だった。カメラ分野でも、似たような話を聞いたことがある。プロ用などのハイエンド機種では、キヤノンとニコンが両巨頭だったが、いつの間にかずるずるとキヤノンがその地位から滑り落ちてしまった。「元々は立派なカメラ・メーカーだったのに、いつの間にかOA機器メーカーになってしまって、だから・・・」。

 それだけではないだろうが、それも理由ではあるだろう。そう認めたところで、どうすればよいのか。そこまで問うて、腑に落ちる答えをこれまで聞けた記憶がない。たぶん、汎用解があるような話ではないのだろう。だが、いくつか方策というか、考え方というか、そういうものは聞いた。それを思い切って分類してしまえば、「運命を切り開く派」と「運命を受け入れる派」とでも言えばいいのだろうか。ステロタイプな物言いで恐縮だが、「強風に抗するために壁を作るのが西洋、柳のように受け流すのが東洋」という区分に従えば、西洋的、東洋的と言えるのかもしれない。

 生島氏の考えは、どうやら前者に近いもののように思われた。たとえ自身がエレクトロニクス・メーカーであったとしても、ゲーム機を作るのであればその習性を捨て、エンターテインメントとは何かという発想に転換しなければならない。企業は、これまでの成功体験に裏付けられたDNAの鎖を断ち切り、新しい発想で自ら変化する道を選ぶべきである。それがうまくできないのであれば、異質なDNAを持つ企業と組むのもいいだろう。それでは中途半端ということであれば、そのような企業を買収してもかまわない。

 だが、短所を一生懸命に克服しようとしても、それを強力な武器にできるほどに体質を変えられるものなのだろうか。その疑問が拭えない筆者の考えは、自ずと東洋的、「鵜(う)の真似をする烏(からす)は溺れる」という発想に立たざるを得ない。例えば今回のソニーの状況に対して「エンターテインメントという原点を忘れたのはソニーという企業DNAのせい。それを克服して出直せ」と叱咤するのではなく、「そう発想するのはDNAなのだから受け入れよう。失敗したからと言って諦めず、その道を貫け」と激励したい気分なのである。

 ところが、かの会社が臨んでいるのは、ゲーム機という区切られた領域での局地戦である。「エレクトロニクスの優位性を武器に」という必須条件を抱えながら、勝利のシナリオを描き切ることが可能なのだろうか。それが、よくわからない。答えのない方程式を解こうとしているだけなのかもしれないと、ついには考え込んでしまう。

 結局、どうした方がよいということではなく、どういったアプローチをとるかは好みである。それが今回の議論における結論のようなものであった。身も蓋もない話ではある。それでも、企業が事業戦略を策定する場ではこうした議論が必要なのだと思う。どの道を選ぶという結論になるにしろ、議論の際には必ず、その前提条件として「自分は何者であるか」を問い直さなければならないからである。

 「彼を知りおのれを知れば百戦あやうからず」とは孫子の有名な言葉である。戦いに勝とうとするならば、彼、すなわち競合メーカーや顧客のことだけでなく、自分自身のことも正確かつ客観的に知っておかなければならない。どうもそのことだけは、確かなことであるらしい。

本稿は、技術経営メールにも掲載しています。技術経営メールは、イノベーションのための技術経営戦略誌『日経ビズテック』プロジェクトの一環で配信されています。