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 初代モデル発売の1年7カ月後には二代目の発売にこぎ着け、さらにその後継機も短サイクルで出し続けた。1994年に「十五周年記念モデル」が出るまでに、三百機種以上のモデルを送り出したことになる。また同機種でもさまざまな色のモデルをそろえたこと
で、ウォークマンというブランドファミリーとしての厚みを打ち出すことができた。

 これと対照的だったのが、1988年に発売した幼児向け家電ブランド「マイ・ファースト・ソニー」だった。「子供にこそ本物を」をコンセプトに、原色を使ったカラフルなデザインながら、本格的な音質や高い機能を備えた商品を開発した。子供の知育に熱心な親をターゲットにし、量販店の価格競争に巻き込まれず、百貨店で正価で売る家電と位置付けていた。

 発売当初は話題を集め、売れ行きも好調だったが、後継機の提供が遅れ、ブランドとしてのラインアップが狭まってしまった。その結果、顧客からも飽きられ撤退を余儀なくされた。せっかくユニークなコンセプトを基にブランドを生み出しても、継続的に新商品を投入してブランドの世界を広げていかなければ、価値を失ってしまうことを痛感した。

 ウォークマンでは短サイクルでの商品開発を実現するため、PPセンターのデザイナーと、テープレコーダー事業部の設計担当者は、密接にかかわりながら仕事を進めていた。ウォークマンの開発では当初からデザイン性を重視していたこともあり、まずデザイナーが商品の仕様を検討し、これを実現する機構を設計担当者が練り上げるという手法を採っていた。

 二代目の開発では、初代に比べてサイズをさらに小さくし、カセットテープと同じ大きさにすることを目指した。初代機ではカセットを入れてプレーボタンを押すと、押す力でヘッドがテープに押し付けられるという構造だった。そのためヘッドが動く5ミリ程度の空間が必要だった。この空間を削除するため、デザイナーは「カセットを入れるときにヘッドまで押し込み、最初からテープにヘッドが当たる」という機構を提案し、設計部門が仕様に反映した。こういった工夫を重ねて生まれた二代目は、スリムで洗練され、かつ耐久性もあるものとなり、その後のウォークマン、さらには他社が発売した「ウォークマンもどき」の原型ともなった。

 デザイン優先で商品の仕様を決めるには、デザイナーが十分に技術を理解していなければならない。現在の技術だけでなく、将来の動向も見通す力があって初めて「ここまで小さくできる」というデザインを設計部門に対して提案できるのだ。デザイナーが技術を理解し、技術者がデザインを尊重する。こういった風土があったからこそ、矢継ぎ早にウォークマンの新製品を打ち出し、追随してきた他社に負けることなく、市場での優位性を勝ち得ることができた。同時にカセットプレーヤーの代名詞として「ウォークマン」のブランドを確立することもできたのである。

想定顧客に情報を集中投下

 ブランド力強化のもう一つの柱が、顧客層の絞り込みと、その層に向けた集中的な情報発信だった。

 盛田氏はウォークマンの構想が…(次ページへ