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十字架まで持参する周到な物量作戦

 留守教授の著書によると、硫黄島戦で海兵隊を率いたホーランド・スミス中将は、水陸両用作戦の支持者であり、作戦の研究と教育訓練に主導的役割を果たした。真珠湾攻撃について、スミス中将は回想録に「豫測してゐた通りの戰爭の起り方であつたし、對應の方法も十分承知してゐたから、少しも驚く事がなかつた」、「我々の計劃や要求のすべてはワシントンの資料ケースの中で長いあひだ時期が來るのを待つてゐたのだから、軍は埃を拂つてそれを取り出しさへすればよかった」と記した。

 海兵隊は「資料ケース」から取り出したマニュアルに従い、太平洋を北上していく。『硫黄島 太平洋戦争死闘記』(R.F.ニューカム、光人社NF文庫)によると、硫黄島作戦は過去例を見ない「史上最大の敵前上陸」であった。物量作戦と書くと、あまり頭を使わず力だけで押す、といった印象を与えるが、海兵隊が硫黄島に揚陸した「物量」はすべて周到な計画に基づいで用意されていた。

 揚陸する物資の量はさることながら、その種類も恐ろしく多様だった。鉛筆、血液、トイレット・ペーパー(上陸用舟艇最後部に積み、波がかからないよう防水布を被せておくことという注意書がついていた)、マッチ、ガソリン、靴下、弾薬、木の十字架(戦死者の墓に使う)、飲料水、溶接棒、ゴミ箱、タバコのライター石、食料、自動車のスパーク・プラグ、毛布、信号弾、犬の糧食、地図、聖水(カソリックのミサ用)、発煙筒、ペンキ、靴ひも、指紋用インキ、電池、岩石粉砕器、葉巻、アスファルト用具。第五師団だけで一億本の紙巻きタバコとオハイオ州の大都市コロンバスが一ヵ月間で消費するだけの食料を用意した。(『硫黄島 太平洋戦争死闘記』)

 このリストを眺め、海兵隊を迎え撃った日本軍が食料も飲料水も、もちろん弾薬もタバコも不足していた状態にあったことを考えると、改めて日本軍の奮闘に頭が下がる思いがする。しかし、今回は海兵隊の話を書かないといけない。このリストの中で筆者に最も強い印象を与えた物は「木の十字架(戦死者の墓に使う)」であった。二本の木が組み合わせてあり、簡単に十字架を作れる。簡易型十字架まで持っていく海兵隊の徹底ぶりは、日本人である筆者にとっていささか不気味な印象を与える。しかも、墓へのこだわりはこれだけに留まらない。

 物資の船積みが始まった(中略)段階で航空写真の上で、どこを墓地にするか決まっていた。この命令は墓穴の深さ、間隔まで指定している。たとえば、死体の中心線から中心線までは一メートル、一列に五〇体、列と列の間隔は一メートルといった具合だった。死体埋葬班は上陸第一日に、ブルドーザーとともに揚陸し、深さ二メートルの穴を掘る。それから墓の盛土をする木型まで用意していた。(『硫黄島 太平洋戦争死闘記』)

 上陸作戦が始まり、海兵隊は初日だけで600人近い死者と2000人もの戦闘不能者を出すが、海兵隊はさらなる死傷者を出してまで遺体の回収に努力し、あらかじめ決められた場所に整然と用意された墓に葬り、しかも戦後になってから遺族の希望に応じて、遺体を掘り返し、本国へ送還した。

 アメリカの徹底的な合理精神について、本連載で以前引用した通り、留守教授は次のように書いている。

 日本は資源豊かなアメリカの物量に負けたのだと、戦後、大方の日本人は信じた。實際、アメリカの物量は壓倒的な威力を發揮した。けれども、如何に資源が豊かであつても、それだけで戦車揚陸船もブルドーザーも火焔放射器も大型爆撃機も原子爆彈も作れはしない。最小限の損害をもって最大限の打撃をあたへ、最短の時間をもつて最大の目的を達する「唯一可能な方法」、それを徹底的に追及する合理精神こそが、豐富な資源を強力な兵器や膨大な物資にかへるのである。(『常に諸子の先頭に在り』)

 墓地の準備は無論、攻撃とは異なるが、そこにも徹底した合理精神がある。「最短の時間をもつて」大量の墓地を設営する「唯一可能な方法」が、簡易型十字架と航空写真に基づく事前の場所決定であった。多数の死者を出した非情とも言える上陸作戦に合理も何もない、と立腹する読者がおられるかもしれない。筆者としては、物事を徹底する合理精神の極端な例として紹介したのであり、その点をご理解いただければと思う。

 戦後も海兵隊は持ち前の合理精神により、自らの役割を見直し、革新を続けている。現代の戦争は第二次大戦当時とは変わり、海兵隊は硫黄島戦のような消耗を覚悟した真っ向勝負を避け、「機動戦」を選択している。機動戦について、『アメリカ海兵隊式経営 最強のモチベーション・マネジメント』(デビッド・フリードマン著、ダイヤモンド社)には「大規模な部隊が敵をまっこうから攻撃するというより、むしろ小規模な部隊が素早く敵の不意を突き、四方八方から攻撃を繰り返すことにより、驚愕と混乱におとしいれる」と書かれている。

 『アメリカ海兵隊式経営』は2001年に出版されており、現代の海兵隊が機動戦に備え、様々な工夫をこらしている様子が詳述されている。例えば同書によると、海兵隊には、素早く動けるようにするために、「七〇パーセントの解決」という方針がある。これは「即断という長所を備えた不完全な決定」を意味する。目的の七割を達成できることが分かれば即断してよい。「早期の計画は、二度手間をもたらす」と語る海兵隊幹部もいる。立派な計画を立てても戦況が変わってしまえば計画を見直さざるを得なくなり、かえって迅速な作戦行動の妨げになる。ただしこれは計画を作らないという意味ではない。

 「組織の最下位に位置する者に対し、その組織にとって最も重要な任務の成功を左右しかねない決定をくだす権限を与える」という大胆な権限委譲も行われている。これも変化対応と迅速行動のためである。一般に「軍隊式」と言うと、上層部の命令通りに現場の兵士が動く姿を思い浮かべるが、海兵隊式はそうではない。こうした「七〇パーセントの解決」も「最下位における意思決定」も合理精神が導いた新方針である点に留意頂きたい。

全滅しても敗北はない

 次に、海兵隊の二面性のうち「鉄石の統率と敢闘精神」について書く。いくら「合理精神に基づく計画」を立て、周到に準備をし、現場で判断できるようにしても、兵士の志気が旺盛でなかったら戦いに勝つことはできない。硫黄島の日本軍は不利な状況下にも関わらず敢闘精神を失わなかったが、攻め込んだ海兵隊の敢闘精神も日本軍に勝るとも劣らないものであった。海兵隊の司令官、スミス中将の回想録から、留守教授は次の下りを引用している。スミス中将が奮起を促すために部下に話をした場面である。

 私はかつてニミッツ提督に云つた、「海兵隊員は日本兵と同じく喜んで祖國のために命を捨てる。海兵隊が全滅する事はあるかも知れないが、海兵隊の敗北といふ事は決してない。私の海兵隊は最後の一兵まで戰ひ續ける。斷じて捕虜にはならない」。師團の將校達にそれを語つてから、私は強い口調で云つた、「さういふ最後の時が來たら、生きて事實を傳える者は誰一人ゐなくなる、だが、私は最後まで諸君のそばを離れない」。(『常に諸子の先頭に在り』)

 「最後まで諸君のそばを離れない」と言い切ったスミス中将の発言は、栗林中将の「予ハ常ニ諸子ノ先頭ニ在リ」という言葉を想起させる。これは最後の総攻撃にあたり、栗林中将が命令書の末尾に記した言葉である。それにしても、全滅しても敗北はない、捕虜にならず最後まで戦い続けるから、という辺りはまったくもって合理的ではない。だが、全滅しても負けないと演説したスミス中将が、開戦のはるか前から綿密な計画を立てていた人物なのである。