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 比内地鶏とか名古屋コーチンとかコシヒカリとかアサリとか野菜とか、産地偽装に関する事件がやたらと目に付く。食品に限ったことではない。某百貨店がイタリア展で販売した家具は、実は中国製だったという。

 真偽のほどはわからないが、自身の感覚からして「さすがにこれはおかしくないか」と思うことがよくある。そもそも「ブランド素材」は希少価値が「ウリ」のはず。けれど、気を付けて見てみると、どこにでもあるのだ。米でいえば、チンするパック入りご飯から街のトンカツ屋まで、やたらと「魚沼産コシヒカリ」を使っているようだし。魚沼って、ものすごく広いんだなぁと感心してしまう。肉とかもそう。話題になったら、ちょっとお洒落なイタリア料理店などの豚はみなイベリコ豚になってしまった。豚の飼育頭数は増やせるかもしれないけど、えさのドングリは足りているのだろうか。

 「何だかなぁ」と思っていたところに、実家から旅の土産が届いた。せんべいである。箱には「ガンコオヤジがこだわった」とか書いてある。能書きによれば、「□□湾で採れたエビを使い、生地は××産コシヒカリと○○産馬鈴薯粉、これを△△湾の海洋深層水で練り上げ、弱火でじっくりと丹念に一枚一枚手焼きで仕上げ」ているらしい。

 製造者の「売りたい」という切実な気持ちはよくわかる。けれど、素材の産地を羅列することが、それほど消費者にアピールしているのかと、ちょっと疑問にも思う。あまのじゃくの私などは、こんな能書きをみると「素材しか誇れるものがないのか」「素材の目利きができないから産地に頼っているのだろう」などと意地悪く受け取ってしまいがちなのだけど。

「言わない」強さ

 少なくとも、「○○産の××を使用」ということは、まねようとすれば誰にでもできる。もしそれしかアピールポイントがないのだとすれば、それは努力放棄というものではないかと思うのである。「弊社のパソコンは□□製のプロセサを搭載し、メモリは××製、HDDは○○製、これを国内△△工場でじっくりと丹念に一台一台手で組み上げました」とか言われても、あまり賞賛する気にはならないし。あ、これは比較対象がちょっと不適切か。

 てなことを考えていて、ふと気付いた。京都の老舗などが扱う製品で、パッケージにデカデカと産地を書き並べているものをあまり見かけたことがないのである。最近、友人間でひそかなブームになっている料亭雲月の「小松こんぶ」だってただの「小松こんぶ」。「××産の昆布だけを厳選して」「じっくり時間をかけて丹念にことこと煮込み」などとはパッケージには書いていない。聞いてみれば、そんなこともあるのかもしれないけれど。有名な、いづうの鯖寿司のパッケージにだって「○○湾で上がった新鮮な鯖だけを使い」などとは書いてないと思う。大好きなやよいの「おじゃこ」だって…。

 以前、京都で老舗料亭を経営されている料理人の方に、こんなことを聞いたことがある。「もともと京都は、海産物などの素材に恵まれないところ。だから、高度な料理法が生まれたのです。素材の悪さを補う巧妙な味付けも工夫の一つ。生で運べない魚は一度干して水にもどして使うとか、鱧(はも)のように生きて運べる魚は、えらい手間をかけて骨切りしてまで使うとか。京都だけではありません。北京だってパリだって、鮮度のいい食材がふんだんに手に入るところではないのです。だからこそ、料理の技が発達したのだと思います」。

「言わない」効果

 そうだとすれば、そもそも京都には素材にこだわる風習が…(次のページへ