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 思索は事件をキッカケに始まる。自分の書いたものを振り返ってみると、どうもそのようである。その事件とは、ミートホープに段ボール肉まん白い恋人比内地鶏…あれ、詐称事件ばかりではないか。そんな事件ばかり起きたヘンな年だったのかとも思うが、そんな事件にばかり反応する自分こそヘンなのではと思い直したりもする。

 で、懲りもせず「船場吉兆」である。やはり詐称事件の一種なのではあるが、これまでの事件とは感触が違う。ミートホープや比内地鶏の事件には衝撃を覚えつつも、心の片側で「さもありなん」「どーせ氷山の一角だろ」という思いがあった。しかし、船場吉兆に関しては「まさかお前が」という驚きと失望感が強く、「やっぱりね」と単純に切り捨てることができないのである。

乱発が招いたもの

 船場吉兆の母体に当たる吉兆は、かの湯木貞一氏が1930年に創業した高級料亭である。それから50年もの年月をかけてその名を高め、今日までその看板、つまりブランド価値を守り続けてきた。傑出した人物が半世紀に及びたゆまぬ努力を重ね、たぶん運にも恵まれ、やっと一つのブランドを確立し得たのである。その50年の蓄積を手品のように一瞬にして崩壊させる。その、もっとも効果的な手法を正しく実演して見せたのが船場吉兆だった。

 かつて「日経ビズテック」という技術経営誌を担当していた時代に、ブランド戦略について考えるという特集を企画したことがある(日経ビズテック第3号)。その関連で、欧州系有名ブランドの関係者を含め、多くの方の話をうかがった。その際に、複数の方が指摘されていた印象的な「鉄則」がある。それは、「何をするかも大切だが、もっと大切なのは何をしないかということ」というものだ。

 格好の事例が、よく「高級ブランド品の便所ゲタ」といったタイトルで語られる逸話だ。日本に欧州系の高級服飾ブランドが本格的に上陸したのは1970年代のことだろうか。その当時、あまり裕福ともいえなかった日本人には、欧州ブランドのオートクチュール(高級注文服)はもとより、プレタポルテ(高級既製服)すら買える人は少なかった。それでもブランドが一般的なブームになったのは、安価な高級ブランド品が市場にあふれたから。もちろん、本物の高級ブランド・メーカーが、安価な量産品を作ってわざわざ日本で売ったりはしない。多くの服飾、洋品、雑貨メーカーなどがライセンスを得て、自社で作った製品にブランドのロゴを付けたのだ。

すり減っていく

 このライセンス・ビジネスは、自身は何も作りも売りもせずともライセンス料はどんどん入ってくるという夢のようなもの。実際、このおかげで欧州の服飾ブランドを保有する企業は、大きな収益を上げたらしい。けれど、長くは続かなかった。まさにそれはブランド価値を現金に替える消費的行為で、預金を切り崩すごとくブランドのステータス感はゆっくりと確実に低下していったのである。その報告を受けたある企業の経営者が、実態を確かめるべく日本にやって来た。その彼がある食堂のトイレで見つけたのが、自社ブランドのロゴが刺繍でデカデカと縫いこまれていたスリッパだった。「なるほど、こりゃダメだ」。それを見た瞬間に、すべてを得心したという。

 この失敗を欧州のブランド保有企業は貴重な教訓とした。つまり、「何かをやることがブランドの価値損失につながる可能性はないか」ということを精査するようになったのだ。

 そこに最大の注意を払うことがブランド戦略の「イロハのイ」として定着した1990年代初頭、デンマークの高級AV機器メーカーであるバング&オルフセン社を訪ね、デザイン部門の責任者の方に取材したことがある。同社は先鋭的なデザインでも知られるメーカーで、やはり卓越したデザイン力を世界に認められていたソニーを強く意識しているようだった。その両社の違いを語るなかで、こんな話をされたのを憶えている。「ソニーは子供向け商品として『マイ・ファースト・ソニー』を売り出していますよね。試みとして非常に面白いし、デザイン的にもとても優れたものだと思います。けれど当社は、同じようなアイデアが浮かんだとしても絶対にやらない。それが、量産品メーカーと高級ブランド品メーカーの決定的な違いなのだと思う」。

 銀座や原宿では、欧米系高級ブランド直営店の出店ラッシュがいまだ続いていると新聞は報じる。その活況ぶりが「自分たちもそうなりたい」という羨望を呼び起こすのか、経営書の分野でも「ブランド戦略論」は近年、根強い人気を保持しているようだ。簡単にいえば、「流行り」なのである。

「標準」の幻想

 そんな「流行り」は、以前にもいくつかあった。例えば…(次のページへ