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シーズアウトとマーケットイン

 ここまで、彼我のロボ観の違いについて述べてきましたが、もう一つ大きな論点があります。それは、人がロボに何を期待するのかという点です。アトムと目玉オヤジを例にとって比較検証してみましょう。アトムを生んだ手塚治虫氏は、誰もが認める天才。卓越した創造力から描写される未来世界や価値観、物語のスケールの大きさや哲学性など、どこからみても不世出の天才だと私も敬愛しています。私ごときが評論するのもはばかられるのですが、半世紀以上たった今の時代となって振り返ってみると、手塚氏の中にエンジニア独特の弱点が見えてくるように思います。エンジニアの落とし穴とは何か? それはテクノロジーのシーズアウト指向という特徴です。

 アトムの特徴的な超能力を列記してみましょう。

<ハード機能>
(1)核エネルギー駆動によりマッハ5~20で空を飛ぶ
(2)パワーは10万~100万馬力
(3)聴力が人の1000~10万倍
(4)その他:眼がサーチライトになる。お尻からマシンガンが出るなど…

<ソフト機能>
(5)60カ国語を自由に話す
(6)人間の善悪を判断できる
(7)電子頭脳の記憶容量は1.8Tバイト

 アトムはやっぱり「科学の子」ですから、スペックとしてはこのように、戦闘機とかスーパーコンピューターの性能値を集めたような表現になってしまいます。1960年代初頭、原子力エネルギーが無限の可能性を予感させ、科学の拓く未来が眩しかった時代の表現方法なのです。欲しいものというよりは、「技術にできること~できそうなこと」を手塚風に読者に提示したのがアトムなのでしょう。これに対して、目玉オヤジのスペックを書き出してみましょう。

<ハード機能>
(1)ふだんは鬼太郎の髪の毛の中に格納、よちよち自立歩行可能
=ウエアラブル機器

<ソフト機能>
(2)鬼太郎のピンチのときに的確なアドバイス
 =エキスパートシステムによるナビゲートの機能
(3)鬼太郎が落ち込んだ時には茶碗風呂に浸りつつ昔話など聞かせて癒す
 =コンシェルジェによるコーチング機能

 両者を見ると対照的です。ハード機能主体で数値スペックにこだわるアトムと、ソフト機能主体で数値表現できない目玉オヤジ。妖怪ですから、一皮剥いても中に電子部品は入っていません。駆動原理とか制御機構などの説明責任がそもそも発生しないのです。切ったら血が出るような生身のものです。今風にはバイオ兵器という見方も可能でしょうか? 「新世紀エヴァンゲリオン」などは科学の粋を集めた妖怪といったテイストに収めてあるところがまた今風で面白いですね。

 さて、アトムがエンジニアにできそうなことをまとめた技術のシーズアウト型と申し上げましたが、一方の目玉オヤジはマーケットイン型ということになります。実現するための科学的根拠が求められない妖怪という設定ですから、「欲しいもの~こんなのがあれば便利だなあ」という諸元をまとめたら、ウエアラブルなコンシェルジェ装置ができちゃいました。というのが目玉オヤジなのです。迷ったときには父親のごとく理性的なアドバイスをしてくれて、悩むときには母親のように勇気付けてくれる。なのに、ふだんは目立たぬお守りのようにウエアラブルになっている。これは、少年が本当に必要とする理想の装置かもしれません。ハードウエアとしての能力は極限まで削ぎ落とされており、実際に行動するのはすべて息子の鬼太郎に託されています。目玉オヤジとは、手出しはしない、できない装置であって純粋にソフトウエアなのです。水木しげる先生の天才性を感じます。

 ウエアラブルとかコンシェルジェ、ナビゲートというような言葉は、昨今の携帯電話ビジネスを語る上で欠かせないキーワードです。コンピュータが部屋のサイズほどだった1960年代から、パソコンの時代を経て、ポケットに入るモバイルの時代になりました。次の時代にはメガネや腕時計といった先輩機器を追って身につけるフォルムに進化すると言われています。また、GPS技術の登場で空間的な位置情報のナビゲート機能はもはや当たり前の標準装備になってしまいました。今後位置情報だけでなく、困ったシーンに応じて適切なガイダンスをしてくれるエキスパートシステムに進化することも、もはやこのマシンに約束された未来といえるでしょう。

 一般人が気軽に持ち歩く無線通信技術というものは、天才・手塚先生にも当時は予見できなかった超SFの世界です。通信局などのインフラ整備があまりにも大変そうだという無意識が、予測を阻害していたのかもしれません。そこでアトムには人間の10万倍の聴力が与えられました。科学の予備知識が「携帯無線通信などできそうに無い感」を生み出してしまったとすると…水木先生の描く妖怪の方が純粋に「私たちの望むもの=マーケットニーズ」を体現しているかもしれません。その上、前半で述べたように妖怪を考えるときに、私たちの中には、もしかしたら正しいのは彼らの方かもしれないという負い目感すらあり、できれば共生したい相手だという謙虚な世界観も隠れているのです。

 このところの妖怪ブーム、どこにでもありそうな地方の町に年間百万人を動員するくらい、現代の私たちに足りない何かを持った精霊たちのようです。道具づくりが高度に複雑化し、個々の技術者にカバーできる領域が細分化しています。そんな時代だからこそ、個々の技術で実現できそうなことを考えるのではなくて、総体として私たちは何を必要としているのかという視線を忘れてはならない。そのことを妖怪たちは訴えかけているように思えてなりません。

著者紹介

川口盛之助(かわぐち・もりのすけ)
慶応義塾大学工学部卒、米イリノイ大学理学部修士課程修了。日立製作所で材料や部品、生産技術などの開発に携わった後、KRIを経て、アーサー・D・リトル(ADL Japan)に参画。現在は、同社シニアマネージャー。世界の製造業の研究開発戦略、商品開発戦略、研究組織風土改革などを手がける。著書に『オタクで女の子な国のモノづくり』(講談社)がある。

本稿は、技術経営メールにも掲載しています。技術経営メールは、イノベーションのための技術経営戦略誌『日経ビズテック』プロジェクトの一環で配信されています。